カラオケボックス
僕はカラオケボックスに行ったことがない。
こう言うと、たいていは「転校生とは聞いていたが、それが宇宙人だったとは」という感じの驚かれ方をする。
でも、そうなのだから仕方がない。
「まちづくり」な仕事をしていたから、まちの人たちとのつきあいで、駅前スナック的なところでカラオケで唄ったことはある。たびたびある。でも、誘われるのが、お歳を召した人ばかりだったこともあって、すべては「ママさんが居るようなお店」での経験に限られる。
それ以外となると
僕も「軽音」だったし、先輩や後輩たちと飲むときは「ステージがある」ようなお店でセッションになるような感じだったり、そこまでいかなくても、店に備え付けのギターをカウンター席で弾き始める先輩の伴奏で唄うとか。業務上のつきあいがあるデザイナーさんにも「音楽」の嗜みがある人は多く、「カラオケを」というより「セッションになる」の方がスタンダードだった。
「時代」もあるのかな。
飲み歩いていた頃は「ボックスで」は、そんなにポピュラーじゃなかった記憶もある。まだ、カラオケといえば「スナック」、JUJUさんのイメージと重なる感じの。つまり、お酒がメインで歌は添え物だった。
でも、いつしか、その関係が逆転していた。一緒にゆく相手も、業務上の関係維持でも、近隣や業界の関係維持ではなく、同級生な感じ。
(点数でカラオケに自分の歌唱が評価されるなんてことも。僕は知らない世界だ)
「ボックス」は「飲みにケーション」の時代と反比例して盛んになったのかな。僕が歌ってた頃は「角角角、みんな角」とか「絵もない花もない」で、J-POPの「J」の字もなかったな。
(考えてみれば、自分が歌いたい楽曲を唄ってた記憶もないな)
1950年代〜1960年代に全盛だったという「歌声喫茶」。各店に歌唱リーダーがいて、彼の選曲に合わせて、来客全員が唱和するように唄ったという、そういう場所の経験もない。「カラオケボックス」に行ったことはない。
時代がズレていたというのもあるけれど、同時代に居合わせたとしても、どちらにも、僕が「居心地」を見出せるとは思えない。
やっぱり僕は「みんな」とは遠いところにいるんだろう。
そもそも「歌を唄う」ことが「ストレス解消」なり「気晴らし」なり、自分にとって「+」な感じになるってことがないかな。特にカラオケは僕にとって「まちづくり」な交渉におての幇間的な「仕事」だったし、それ以前の記憶についてもミュージシャンになれたわけではないので「青春の蹉跌」的な思い出だし。
つまり「唄う」は忘れていたいもの…の方かな。
だから「一人カラオケ」な「カラオケボックス」にも行ったことはないんだろう。