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マイクロ市場

まずは二極化だ。

大多数の人々を消費者にとるマス市場は、全体にもっと一色になっていく。
鬼滅の刃か、ディズニーかハリポタか。

一方で、例えば独立系の本屋さんが、案外、元気であるように、マイクロ市場の存在が明確になっていく。
マイクロ市場は多様性に満ちている。様々なニーズがあり、だから大量供給を旨とするマスな供給者からは相手にされない。そこに「欲しかったもの」が投入される。そこに小さな市場ができる。

トルメキアとペジテや風の谷の関係に似ている。トルメキアはマス市場だ。

でも「一億総中流」の時代に比較すればマス市場も縮小する。「ハリウッド映画の終焉 」(宇野 維正さん著/集英社新書)なんていうのもそうだろうし、取次会社(日販&東販な)頼りの本屋さんが半減する勢いなのもそうだろう。

マイクロ市場もまだ始まったばかりで、実はノウハウは「これまで」っぽいところが多い。SNSに不器用で、イベント頼りで、マイクロ市場なのに不特定多数に声をかける。客の囲い込みも下手。そして「本」は量産品だから、大都市みたいに本屋さんが集中してしまうことでは、すぐに食い合いが始まってしまうか、並べば「金太郎飴」になってしまう。

それに、これから経済的な苦境がこの国を襲う。

この国、食料自給率は30%台、エネルギー自給率は10%台。ガソリン自動車は国際的に過去のものにされそうになっており、半導体もそうだ。外国からの観光客だけでは、この苦境を救えないし、未だにやめられない再開発事業が観光資源をつぶしていている。

就業スタイルにも大幅な変更が要求される。

つい最近まで「見本を正確に複写する」「みんなで協力して結果を出す」「世間に合わせていきていく」で仕事をし、生活してきたが、マニュアル・レーバーならAIに敵わない。資格をとってもチェットGPTはフィナンシャル・プランナーを絶滅させ、弁護士事務所のパラリーガルな人々を半減させると言われている。電車の運転(駅員さん)、長距離トラックドライバーなどもそうだ。

大半の仕事がなくなる。

「AIの導入によって日本の労働人口の49%の仕事が10〜20年以内になくなる」というレポートが、野村総研とオックスフォード大学の共同研究(というところが少し眉唾だけれど)によって発表されたのが2015年。もう8年も前のこと。

つまり、労働者を相手にしてきたすべての業種が津波に呑まれる。

今、健在化しつつあるマイクロ市場も、一般的なマス市場の中の「少数」を顧客にしている場合は、この津波に巻き込まれる可能性が高い。

(チャールズ・マレー氏の著作「階級『断絶』社会アメリカ:新上流と新下流の出現」みたいな)

マイクロ市場が本格的に始動するのはそれからだ。

AI(つまりディープ・ラーニング)は統計ソフト。「これまで」に存在するデータを片っ端から記憶し、共通点を括ったり、違和感を抽出したり、そういうことは得意。人間はまったく敵わない。町医者的な開業医なら、近い将来、医学より統計学だという所以だ(つまり無人化ってことでもあるけれど)。

だから、AIはゼロから何かを作り出すことはできない。企画やアートを創造力するといったスキルはこれからも人間に。

レンブラント風の絵画を描けっていったら、AIはレンブラントより上手かもしれない。でも、ウォーホールみたいに、それまではアートでもなんでもなかったものをアートにしてしまう力はないんだ。
だから「ピアノという技術」で、ピアノを教えて食っていくのは難しく、逆に、誰にも奏でることができない音色で、食っていけるだけの量の聴衆が得られるピアニストは安泰なんだ。ピアニストの全員が職を失うわけじゃない。フィナンシャルプランナーにしたって、そうなんじゃないかな。その人にしかない「相場読み」や「運用の設計」ができれば、むしろ、今より給料が高くなるんじゃないか、それも破格に。

リーダーシップ、コミュニケーションや関係性の構築(つまりグループメイキング)、プロジェクトの編成なんかも、まだまだAIには無理じゃないかな。

で。

マイクロ市場が本格的に始動するのは、生き残る少数が明確人ってからだと思う。たぶん、彼らはひとり一人が個性的だし、たいていのことは自己完結できてしまう。そういう彼らが「自分以外」の人に頼みたいこと。そういうことが「一億総中流」時代の後で、なんでも「中流向け」「画一的な」で商ってきた後の時代には、新しい市場を産む。

例えば「孤独を癒す」とかね。

それも「孤独の癒し屋」みたいに判りやすい看板を出さないんじゃないかな。

昔、ヨコハマの相生町に、昼間は喫茶店で夜はBarみたいなお店があって、40年以上も前に、そりゃ美味しかったけど珈琲が一杯=1千円で、そんなだからゆったり経営されてて、つまり、お客さん、来ない。カウンターに六人がけみたいなテーブルが一つ。ママさんとカウンターの中に一人。

ここが名だたる経営者をクライアントに持つ占い師の相談室でもあった。でも占いをしてもらうっていうのは、たまにで、ママさんのつくりだす時間を楽しみにきてたのかな。

(そういう人たちは、別に「会費」みたいなものを支払ってるらしかった)

あんな感じかな。

本屋さんも、ただ書籍を売る場所ではなく、時間を愉しむ場でね。「本」は、そのきっかけか媒介に過ぎない。マス市場向けではなく、そんな商いを確立している場所は、まだ、あんまりないだろうね。

(薄利多売じゃなくて、客単価が高い少数向けの商売)

だから「これから」かなと思うんだけど。もうあるのかもしれないね。あの相生町の店だって、ごくごく僅かな人が知ってるだけだったから。

さて、どうかな。