こちらの問題
この頃つくづく「ビジネスってフィクションなんだなー」と思う。
東京ディズニーランドは、わかりやすく全てがフィクションな空間で、故にスタッフさんもキャストと呼ばれるんだろうが、Starbucksだって美味しい珈琲を提供するcafeというより、店内という空間、ドリンクやフードのネーミング、スタッフさんの接客の様式美などが醸し出す、あれは、ああいうフィクションを売っているところなんじゃないだろうか。
珈琲の味にことさらの特長があるとは思えないし、フード系の油もビジネス的なコストに見合ったもの…でも、Starbucksは多くのお客さんに支持され、立派なビジネスとして成功を収めている。
前述したようにスタッフさんもcafeのスタッフというよりはStarbucks物語を構成する役者さん。cafeスタッフになるためのトレーニングというよりは俳優の養成所にいるようなもので、それ故に肝心の珈琲の味に詳しくなるのではなく、Starbucksの製品に詳しくなりStarbucksな接客スタイルに熟達するだけ。だから接客においてもマクドナルドのような均質感がある。でも、それが利用者の安心につながるのかな。
(人間がやっているなら、ホントは「均質」っておかしいんですけどね。だって、誰にも個性があるから)
オーガニック、エコロジー、マクロビオティック、ヨガ…
どこかに芝居染みた臭いが感じられるところがあれば、きっとそこにはビジネスが介在しているんだと思う。
平川克美さんが「小商いのすすめ」といったのは、こういうフィクションから離れてリアルにやろうよという呼びかけだったんだと思う。
東横線の小さな駅の近く、左右にお弟子さんを従えて鍋を振るう大将の中華屋さん。熟練の「手」から生み出される中華な料理たちは、もうそれだけでご馳走です。それに比較すれば、フランチャイジーなcafeで売られているドーナツはまるで食品サンプルのロウ細工のよう。
「小商い」とはいうものの、事業規模の大小ではないんだろうな。
人の手が届く範囲なら必然的に「小」だし、フィクションで膨らませるから「大」になる。そして「大」になったら、必ずそれは「似て非なるフェイク」になる。だから「大」は止めておこうよということ。
それで「小商のすすめ」
某有名店主のラーメン屋さんに入って、カウンターの中を覗いていると、麺から何から、全部「袋に入った部品」を、袋から出して組み立てているだけの、つまりプラモデルのようなラーメン。スープさえ、一杯分が袋に入っていた…
でも、ビジネスってこういうもの。
それを認めるか認めないかはこちらの問題です。