垂直思考と水平思考の狭間に漂うぼくは結局何者でもないのか

 先日「GRIT」と「RANGE」という相反する2冊の本を一気に読んだ。僕に限らず、ほとんどの人が悩むことであると思うので、ぼくなりの見解をここに垂れ流しておきたい。

 垂直思考=「GRIT」=スペシャリスト=狭く深く=やり通す力。一度決めたらその達成に向かって、全身全霊を費やす能力。一度や二度の失敗は当たり前、PDCAをクルクル回して目標に向かって全身全霊をかけて取り組む人々。

 水平思考=「RANGE」=ゼネラリスト=広く浅く=試行力。様々な知識を駆使してある問題を分解し、本来その問題のある領域とは全く異なる他分野の領域の方法を引っ張ってアレンジして応用する能力。柔軟な思考が求められ、人生そのものが壮大な実験かのように振る舞う人々。

 現状存在する全ての業界に、どちらのタイプの人間も存在するとは思うが、やはり”成功”する人々は、その業界特色に合わせてこの能力を使っているように感じる。

 具体的には前者「GRIT」は、不確定要素が比較的少なく、ルールがある程度定まっており、効率良く物事を進められる領域に力を発揮する。高度経済成長社会においては、モーレツ社員と呼ばれるようなサラリーマンたちはこちらの方法を用いていたと想像できる。仕事の範囲が限定的、つまりすべきことが明確に定められている中で、優れた業績をあげるには、この考え方の方が一致する。加えて、一生涯一社に勤め上げる「終身雇用」のスタイルも影響していただろう。
 一方後者「RANGE」は現代のVUCAと呼ばれる、一年後の未来も分からないような、見通しが不明瞭な社会に置いて威力を発揮する。明確な目標を緻密に練り上げたところで、いざ実行に移そうとした段階には既に状況は変わってしまっていることが大いにある。前例の無い答えを出すためには、一貫したやり方が適さないこともあるということだ。

 さて、7歳の頃からバスケットボールに打ち込んできたぼくにとって、プロになることは大きな目標であり、その達成に全身全霊をかけてきた。進学する基準も全てバスケが軸となっていた。それ以外のことなどどうでも良かった、まさに「GRIT」なぼくで生きてきた15年間だった。しかし、現実は甘くなく、こうしてぼくは小っ恥ずかしい自分の人生の失敗を自虐的に披露するしか無くなっている訳である。

 23歳で新卒として銀行に就職する訳であるが、ここからが「RANGE」のぼくである。入社後は営業として二年半、26歳にはシステム部で一年半、27歳に退職してスペインに語学留学兼バスケのコーチング留学、帰日して一年半ほぼニート(塾講師はしてた)、そして30歳、現職のプロチームのコーチである。

 一貫性の欠片も無い。

 バスケをする時間を捻出するために、テスト勉強は3日で詰め込んだ。テスト勉強の前には綿密な勉強計画を練り上げた。高三の9月までの13回の定期考査で評定平均値をできる限り高くする、目標は勿論、評定5.0にするための戦略的に作り上げたものだった。単純に勉強をするほど暇ではなかった。
 得意・不得意科目、分野の把握を真っ先に行い、勉強時間配分を決めた。授業中の先生のコメントや性格を考察して出題されそうな部分をピンポイントで予測した。ノートまとめと暗記は一度に行った。1日15時間は当たり前に勉強した。睡眠は小分けに取ることで、思考と記憶の整理に充てた。一度決めたことはやり通した。答えが一意に定まる”勉強”において「GRIT」は絶大な威力を発揮した。

 バスケは個人練習ばかりしていた。なぜなら相手を見てプレーするのではなく、自分のしたいプレーを止められなければ、それは相手など関係なく勝てると考えたからだった。論理的には可能であるが、それは無謀な挑戦だった。
 「GRIT」がまずいわけではなく、実現可能性の低い手段を取ってしまったことに失敗の原因はあるのだが、その方法を変える柔軟性を持ち合わせるほど、ぼくは「RANGE」が広くなかった。世界のバスケはNBA、それ以外のチームは弱小、というイメージが鮮烈にありすぎた。当時の月バスでは2004アテネオリンピック金メダルのアルゼンチンや銀メダルのギリシャの特集もやっていたのに、目を向けようともしなかった。「アメリカも負けることあるんやな」くらいにしか思っていなかった。その時、ヨーロッパバスケの素晴らしさにも気づいていれば。ノビツキーやパーカー、ジノビリ、ガソル兄弟の名前は知っていたのに。日本が世界で勝つにはNBA入りできる平均的な選手程度の身体能力が最低条件と考えていた。
 イチローの美談や一貫性の美徳は、固定観念を強固にしていくのにはうってつけなのだった。

 銀行は辞める前提で入社した。選手として無理だと感じたぼくは、バスケットボールに立ち戻るにはスポーツビジネス面から、と考えたからだった。でも当時スポーツビジネスなんて全然ちっぽけなスタートアップばかりだったし、そのスタートアップは隠れて見えなかった、いや、探そうともしなかった。だからいつかスポーツビジネスに戻る時までに”ビジネス”について広く知っておく必要があると考えた。
 ビジネスのいろはを学ぶには、一番厳格な手続きが必要な場所が良かったし、全ての根幹である「カネ」の流れを押さえておきたかった。さらに、特別業界に拘りがあった訳でもなかったから(スポーツ業界以外に)、潰しが効きそうなところにした訳だ。英語も使えるようになりたかったし、チャンスのありそうなメガバンクにした。実際にシステム部では、ニューヨークとの電話会議もあったし、業務の三割は英語でやり取りしなければならない環境でもあった。三割だけだけど。
 資格コレクターにもなった。応用情報技術者、TOEIC、銀行業務、簿記、FP、保険販売、証券外務員…思い出せるのだけでもこれだけの勉強をした。

 どういう方法で戻るか、戻るときに世界がどうなっているのかの見通しがつかなかったから「RANGE」の方法を取るしかなかった。本能的に、いろいろな分野の勉強が必要だと思った。資格の勉強に加えて、多分野の本を読み漁った。小説、自己啓発、新書、実用書…年間100冊は読んでいた。日本にはどうしてアリーナができないんだろうと思って、横浜スタジアムやマツダズームスタジアムの勉強もした。沖縄にできたようでとても嬉しい。その件はもういいや。

 でもぼくの中では一貫性はあるのである。「将来スポーツビジネスをしたいんです」と18歳の早稲田大学の指定校推薦の面接で言ったあの言葉を律儀に守っている訳だ。心はいつもバスケにあった。

 「思考の整理学」という本でも記されているのだが、悩んでいる、考えている物事は一旦頭から話してあげる様にした方が創造性は増すし、考えがクリアになるらしい。それは確かにそう思う。

 穴を掘る作業に喩えよう。一本のシャベルだけ持たされる。いち早く外の世界に達したら勝ちというものだ。
 How思考の罠に陥らないように水平思考で考えて、決めたら垂直思考で一気に掘り下げる。ふとした時に地上に這い上がって、周りを見渡してみる。その時には、誰も周りにいないかもしれない。地下必死で穴を掘っているかもしれないし、どこか違う場所に別の穴を掘りに行ってしまっているのかもしれない。
 いや、そもそも掘る方向が下であると誰が決めたのか。前提がおかしいのかもしれない。四方八方を掘り進めて、外界を目指すという方が正しい。なかなか到達しない。焦る。戻りたくなる。そのまま掘り続けてもいいのか。一方向だけに掘り進めるのはリスクがあるとは思わないか。球を描くように掘り進めるのは時間がかかる。一方向に8m進む間に、半径1〜2m程度しか掘れないかもしれない。
 でも、本当はスタートの近くに電動掘削機があったのかもしれない。個人ではなく、仲間と協力すれば良かったのかもしれない。反対方向に進めば外界だったのかもしれない。でも一貫性やサンクコストの魔力がその判断を鈍らせる。もちろん、あと50cm同じ方向に進めば外界だったのかもしれないのだから…

 昔から即断即決が苦手だった。じっくりと検討してから、素早く行動に移したい。非効率な動きは得意でないし、できるならしたくない。でも、掘ってみない限りどうなるかはわからないという考え方も理解できるようになってきた。スペインという、日本以外の国で生活をしたからそうなった、とまでは言わないが、多少なりとも影響はしているだろう。異文化で生きる彼らの生活行動軸は日本人のそれとは180度違うと言っても過言ではなかったからだ。

 ツラツラと書いてきた。まだ答えは出ない。どちらが良いかはケースバイケースなのだろう。「理性」と「感性」というようなものかもしれない。研究者じゃないからそんな感じの整理でいい。ただ一つ言えるのは、「GRIT」にも「RANGE」にもなりきれていないぼくは、きっとこの先もモラトリアム人間のようにふわふわとこの世界を漂うんだろうな。いつまでこの支払い猶予を伸ばしてもらえるかは、元金融マンの腕の見せ所なわけで、返済能力の高さをアピールしていく他ないのだと、思う。

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