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友達が 1人もいない 執筆力 ~祝・毎日note75日達成~

 私には友達が1人もいない。そのため自宅にて鏡の前で世界を裏で牛耳っている感の顔をいかにできるかという底辺の暇つぶしを実行している書面の如き面白味のない休日を送る私のような人間が連載する毎日投稿が今回の記事をもって75日連続投稿となった。

 今回が75日目で先日に69日連続達成の記事を書いたばかりであるため私の中の節目の概念が消失したと思われているのかもしれないが今回はちゃんとした節目だ。それは私が毎日投稿を始めたころより目標にしていた100日連続投稿という記録を四分の三達成したという節目だ。

 書き始めたころは私のこれまで歩んできた常人ならば精神が崩壊しかねないグロテスクとも呼べる半生を文字に起こすことに専念した。ただそれだけではいつかストックが尽きると考え、途中から私の頭の中に渦巻いていた言語化が不可能とも思えていた思想たちに無理やり言葉の衣服に身を包ませ記事にするようになった。

 ただ私の思想は自分の中では遊星の垣根を超えた宇宙規模の壮大なスケールであり、この民主主義に一石を投じるような斬新な思想であると自負していたのだがそういう記事ほど驚くほどに評価が低く心が蛇腹状に折れていった。ただそれは芸能の世界で不倫の話題や論破が流行っていることから分かるように今の世の中が求めているのは共感であるため社会の死角部分でガサガサと蠢いている私の思想は理解されなかったのだろうと時代のせいにすることで精神的安定を保つことに成功した。

 そんな紆余曲折がありもはや混沌の品評会とも化した私の毎日投稿であるけれどもそもそもなぜここまで書き続けられたのだろうと思い考えてみたのだけれど、それはおそらく習慣化による勢いだと思う。

 ものすごく初期のころで書くことがギリギリまで定まらなかった日がありあまりにも書くことがないから「今日の寝ぐせがひどかった」という児戯だとしても許されないようなテーマで書こうとしたためすぐさま没にして別のテーマを絞りだしその日は記事を投稿した。ただ今の私ならその「寝ぐせ」をテーマに書いていると思う。

 例えばであるがカサブタを想像して欲しい。本来ならば傷が完全に完治するまで剥がしてはならないというのが人体的ルールだけれども長年の経験から途中で剥がしても大丈夫なお役御免カサブタであると気づき途中で剥がしたことはないだろうか?

 それと同じで毎日書くことを習慣化していると自然と書く力も微力ではあるが上がっているためそのテーマで書けるかどうか分かるようになる。なので「寝ぐせ」がテーマの記事は今の私の慣れから来る眼力から見て、我々が眠っている間に遠い海の向こうで子供たちの血が流れているなどの地球を横断するほどの遠回りな部分を強引なまでに盛り込んでではあるけれど書けると思う。つまりnoteを続けていく上で大事なのはエピソードでも思想でもなくなんとかなると思う力だと私は思っている。でなければ肛門のストライキに屈した脱糞なんて記事にしようとは思わない。

 とりあえず目標まであと25記事。もしかするとなにかの手違いで文献に名を遺すのではないかというところまできたけれど目標はまだまだある。すごく垂直落下な言葉でもあるけれどもっとたくさんの人に読んで欲しいし、なんだったらキャーキャー言って欲しい。男とはロマンさえあれば白米が何杯も食える阿呆生物だからこればっかりは仕方ない。とりあえず最初の目標まで頑張ろう。

 

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