真面目は長所になり得るか?
PanTomは真面目だね。
学生時代によく言われた記憶があります。
真面目にコツコツやっていたらいいことがあるから頑張ろうね。
人を応援するときや、努力を美徳とするときにも使われます。
PanTomは真面目で偉いね。
家族にも言ってもらったことがあります。【真面目】は褒め言葉のようです。
私の長所は真面目なことです。
面接などでも良く言葉ですね。今回の記事のタイトルにもなっています。
[名・形動]《「まじ」は「まじまじ」の「まじ」と同じか》
1 うそやいいかげんなところがなく、真剣であること。本気であること。また、そのさま。「真面目な顔」「真面目に話をする」
2 真心のあること。誠実であること。また、そのさま。「真面目な人柄」「真面目に暮らす」
冒頭にあげた例はこの意味でいうと2の意味を取っているでしょう。つまり真面目=誠実として捉えることができます。真面目にも誠実にも「真心がある」とあります。相手に思いやりを持って行動することができる人、それが真面目な人と言うことになりますね。
となると少し違和感が出てきますね。
そもそも真心があるのと真面目といもののイメージが異なるように思います。
私の感覚が皆さんと同じかどうかは不安なところがありますが、私は真面目=ルールに従って行うことができると言う印象を持っています。そこから転じて同じことを積み重ねることができる、責任感があると言うイメージにつながっているように思います。だから自己アピールの時に「私は真面目で、責任感があり…」と言うアピールをし、何かをやり遂げたエピソードをつけるのだと思います。
しかしこの自己アピールはアピールに成功しているのでしょうか。
確かに何事もコツコツと繰り返し行うことができるのは社会人にとって大切なことだと思います。ただそこには向上心というか成長性が見られないようにも思います。
何かを繰り返すということはそこから何も発展しないということです。
世の中において変化しないものはありません。日々新しいことが開発され、新しいものが取り入れられていきます。そういったものを取り入れずに同じことを繰り返すのは長所と言えるのでしょうか。
また真面目な人は支持されたことを実行するのは得意ですが、自分の意志で能動的に動くことが苦手な人が多いように思います。
ルールに従って行うのが得意ですから、そのルールを決めない限りはその良さを生かすことができません。
決して人格の批判をしたいのではありません。真面目な特性を持っている方を馬鹿にしたいのではありません。というか私もどちらかというとその部類に入るので反省の意味を込めて書いています。
時々この自主性のなさが嫌になることがあります。
色々なことに挑戦する人を見た時、仕事で積極的に発言する同僚を見た時。何をするにしても周囲の目を気にしてしまって、周囲が認めてくれないと動き出せずにいる自分がいます。
「真面目が取り柄」に疲れてしまった人へ。
もう真面目は十分ですよね。これからは少し我儘でいきましょう。
周囲の目が気になるかもしれませんが、その人たちももいずれ居なくなりますよ。そんな人たちに振り回されるのはあなたの人生の得にはなりません。
ありきたりな言い方ですが、周囲の人はそんなにあなたのことを気にしていません。現に自分も周囲のことをそんなに気にいませんよね。
真面目という美徳に縛られてしまって動けなくなってしまっている自分を解放してあげましょう。
真面目は【自分らしさ】ではありません。
別の部分で自分らしい個性を見つけて見ましょう。
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