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映画『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』を鑑賞して感じたこと

ネット予約が間に合ったので、公開日に映画『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』(エヴァンゲリオンの完結編)を鑑賞することができた。

話題作である。とうぜん席は満員。別の時間の回もほぼ満員だった。いまこのスクリーンには、数百人が関心を示し、同じ場所に集まって、この作品を観ている。初日とあって、おそらくそれぞれが強い想い入れを持っているのだろう。

私がしっかりとエヴァを見たのは、旧劇場版のタイミングだった。たしか1997年。映画公開前の特集で、深夜に再放送していたテレビシリーズをビデオテープに録画。でも時間がかかりそうだったので、しばらく放置していた。ある日、第1話を見たら止まらなくなって、3日で見終わった記憶がある。

その後DVDで劇場版を鑑賞。貞本版の漫画も読破。シン劇場版の3作(序、破、Q)は劇場で鑑賞した。シン劇場版に関しては、直前にAmazonプライムで見直している。なので準備万端であった。

映画館に話を戻す。スクリーンを眺める私は意外にも、ほぼ思考停止状態でストーリーをたれ流していた。作品の公開を待ち望んでいたはずなのに、ワクワクやスリルを感じないのだ。

なぜだろう。理由を考えてみた結果、この映画は「問題を解いたあとの”答案用紙”」なのだ、という結論に至る。つまり、私は「答え合わせ」がしたくてここに座っているのだ。

実際、庵野監督以下、製作陣は、ひろげた風呂敷をていねいに畳んでいた。劇中では、ひとつひとつ伏線を淡々と回収していく。彼らはおそらく、1995年のテレビシリーズを含む、すべてのエヴァンゲリオンに対してケリをつけようとしている。

これまでの作品には見られなかった、完結編にのみ許されたカタルシス。みんな、あっという間に浄化されていった。そして終劇。あっけない。

誰がどう見たって終わり。続編の芽はきれいに摘まれた。そんな一抹の寂しさと、卒業できて晴れやかな気分が同居していた。なんとも不思議な感情だった。

せっかくだからと、Filmarksというアプリに短い感想を書いた。ついでに、ほかの人の感想をざっと眺めてみた。無事に完結できたことを喜んでいる人が多い印象。これは本当にすごいことだ。

何がすごいのか。これは想像の域を出ないが、作りたくない(または自信ない)のに「はやく作れ!」と急かされ、「しかも面白くしろ!」というムチャ振り。スポンサーやファン、その他の関係者たちからの膨大な期待。これらをすべて背負いながらの製作。想像を絶するプレッシャー。完結編。無事着地がマスト。求められる操縦席でのシビアなハンドリング。自分のクリエイティブ(エゴ)とファンサービスの狭間でのせめぎ合い。そこから導き出す最適解。ミスが許されない極限状態。そんな状況下で、たくさんの試練を乗り越え、最大公約数の人間が納得できるラストを用意した。それがすごいのだ。

これは予想だが、庵野監督は、この完結編がファンに納得してもらえなくて、また続編を希望されたら、さすがにしんどいと思っていたのではないだろうか。もう絶対に作りたくない。だから何がなんでも終わらる。伏線もすべて回収する。むずかしい表現は極力避けて、わかりやすく。ぜんぶ説明しきって必ず終わらせるんだ。そんな強い意志を感じずにはいられない。

したがって、多くの人たちに「終劇」を納得してもらえている時点で、すでに映画は成功しているのだと思った。

#シン・エヴァンゲリオン劇場版
#ネタバレ

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