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あの世の事はわからない

明日の事がわからないように、死んだ後のことは想像するしか無いのです。

死んでしまえば、何もないとするのならば寂しすぎるから、何かがあるとしましょう。それでは何があるのでしょうか?

肉体は土に戻りますが、精神はどうでしょうか?頭の中の記憶は肉体と共に消えて無くなりますが、伝えた事は伝わった人の記憶に残ります。生きている間に自分が伝えたい記憶を誰かに伝えるのです。

文章にして伝えた事の中に精神はあるでしょうか?文章には精神はありません。文章だけでは精神は伝わらないのです。文章では無く会話が精神を伝える唯一の手段なのです。

なぜ、文章では無く会話が精神を伝える事になるのでしょうか?それは、会話と文章では、大きな違いがあるからなのです。文章は一方的なもので伝えたい人に向けて発信されるだけなのですが、会話は両方向、相互に伝えあう事であり、どちらが質問して答えが返ってくるのです。ゲームも会話のように相互に伝えあう事ができますが、会話のように精神を伝えあう事はできません。精神を伝えるのはお互いが対等の立場での会話でなければならないからなのです。同等の立場であれば精神は混ざり合い融合して新しい精神となるのです。同等でなければ混ざり合う事はありません。

大人と子供でも、男と女でも、対等だと思う気持ちが精神を伝えあう事になるのです。お客様と店員が対等の立場になって会話をすれば精神は伝わるのです。それをお客様は神様ですとか、店員だからと見下したりすると精神は伝わらないのです。

人は、それぞれの役割を行なっているだけで身分も人種も家柄も学歴も職業も関係ないのです。どのような思いを持って物事を行なっているのか、そして先人の精神を受け継いで伝えていくのです。

何をどのように伝えていくのかを考えるのが哲学で、すべての人は意識せずにそれを行なっているのです。宗教もその一部であり、家業を継ぐのも政治も伝える手段なのです。

伝え方が同等の会話では無いので不自然な伝わり方だと思うのは私の持論であってこれからの私の伝え方がクリエータとして私の精神が伝わるものだと思っています。

精神が文章では伝わらないのは精神が一言や二言では言い表す事ができないからでもあるのです。それと精神は会話をする事で伝えあう人と融合されてより良いものに変化するからなのです。直接会話できる間柄でなければ伝えあう事ができなかった時代から、インターネットを通じて会話ができるようになりました。同等の立場になって精神の融合が促進されればそこに生まれる精神はいつまでも伝え続けられる事になるでしょう。

あの世があるとすれば、それは精神的な繋がりでできた会話の世界でしょう。たくさんの人と同等の立場となって会話をしましょう。そして他人の精神と融合された新しい精神を伝えていきましょう。

文章では表現できない会話の世界(チャット)で伝わる精神はどのようなものでしょうね。想像してください。世界中の人々と同等の立場になる為にはどうすれば良いのでしょうか?会話ができない壁にはどのような壁があるのでしょうか?言語、知識、環境、思想、戦争などたくさんの壁があります。時間の壁もあります。できるところから始めて少しづつ進めば良いのです。

この世からあの世につながる道は会話をする事なのかもしれない。交換日記は、文章の会話になりうる良い手段だとも言えます。恋人、親子、生徒と先生、親方と弟子が同等の立場になる為に交換日記をする。新しい形の会話を提案するのも楽しいものです。

この世と違うのがあの世とするならばこの世からあの世に行くには、死ぬ以外には無いのでしょうか?あの世を想像する為には他人との会話が有効です。

想像でできているあの世は精神の会話でできているのだ。