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「お気遣いなく」は思いやりですか?
思いやりは相手の事を思って行動する事ではありません。行動が先でその行動が相手を不愉快にさせない事です。
相手の事を思うのは気づかいです。気づかいが行動になりそれが相手を不愉快にさせなければそれは思いやりができていたと言えるのです。
たとえ相手が望んでいてもそれが最終的に不幸になると思っていたならば行動してはいけないのです。行動しないことも思いやりです。
思いやりの最終目的は幸せになることです。その手段が自然と心遣いができて行動することです。自然と心遣いができないと疲れるのです。
自然に反した心遣いを強要されるから疲れるのです。生まれた時から思いやりのある人にはなれません。思いやりのある人と接して思いやりとはと気づくことから始まるのです。
気疲れは、気づかいが身についていないから疲れるのです。気疲れが嫌なので気遣いをしない、又は苦手になって思いやりにも欠けてしまうのです。
思いやりで接すると思いやりのない人とは価値観が違うのでわかります。
思いやりに気づいた人との交流でさらに思いやりが磨かれるのです。
「お気遣いなく」と言ってしまうのは、気疲れが伝わってくるからです。
気配りが気疲れしないで行うことができたならば思いやりに近づくことができるのです。思いやりの最終目標は幸せになることです。人を不幸にしないことが思いやりです。
自分が手抜きをして相手に勝利を与えても相手は勝ったと勘違いするだけでその後の人生は勘違いしたままです。不正な手段で勝利を得たとしたらその後も不正な手段を使ってしまうでしょう。
思いやりは黙っている事では無いのです。
思いやりは指摘してやめさせる事では無いのです。
思いやりは自分で気づくように指導する事です。
わたしの指導は自分が実践して良い例を示す事です。
ぶれない価値観を示す事です。伝え続ける事です。
思いやりができるようになると思いやりが返ってきます。
思いやりとは幸せになることです。