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優しくしてもらえることが当たり前だと思っていた。

今日の写真は高野山を歩くです。

優しくされることが当たり前だと思っていた。だから誰にでも優しかった。
ある日から優しくされることが当たり前でなくなった。

優しくなくなった。

優しくなくなっても優しくしてくれる人と出会った。
優しくなくても意地悪で無ければ良いのです。
気遣いができる人ならば良いのです。

優しくもなく、気遣いもできず、意地悪なわたし。

誰が好きになってくれるのでしょうか?それは、優しくて、気遣いができて、意地が良い人です。わたしは真面目で正直で杓子定規な所がありますが、ざっくばらんで、社交的で、型にはまらない人を好きになりました。

自分にない所がある人で価値観が同じ人が好きです。

わたしを嫌いだと思っている人よりもわたしが好きだと思っている人を好きになりました。

理解できないことは信用しない。理解する努力はしますが、屁理屈には騙されないのです。優しいのは優しくする理由があるのです。優しくするのは優しくして欲しいからです。気配りをするのは気配りをする理由があるのです。気配りのある人になって欲しいからです。気配りも優しさも価値観が同じ人なのか探るためにするのです。

人を思いやる気持ちのある人が人としての価値のある人だと思うのです。

価値のある人になりましょう。価値観は人によって異なります。
何が、何に、何を価値があると思うのかが同じ人と仲良くなりたい。
それを確かめるには時間がかかるのです。時間をかけなくてはいけないのです。時間をかけてお互いの価値観を確認し合い融合できるように話し合うのです。

時間は無限にあります。時間を有限にしてはいけません。
人は生まれて死んでいきますが繋いでいけば伝えていけば有限ではなく無限になるのです。止めてはいけません。結果を出してはいけません。続けるのです。

平和について考え続けましょう。戦争の悲惨さを語り繋いでいきましょう。

止めてはいけません。
結果を出してはいけません。
終わらせてはいけません。

止まってしまったらまた歩みだせば良いのです。
止まってしまっていて続けなければいけないことを見つけましょう。
忘れられている歴史を思い出しましょう。

忘れている事実は痕跡があるはずです。書物が残っているはずです。
優しさを忘れてしまっているのなら思い出しましょう。
優しくされていたあの頃を思い出しましょう。