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幸せになる
幸せになろうとしても、幸せにはなれません。なぜなら幸せは、なるのでは無く、なっているものだからです。
「幸せ」は幸せだと思った時が幸せで、幸せになろうとしたときは幸せでは無いのです。
どうすれば幸せだと思えるのでしょうか?それはなぜ好きなのですか?の問いに似ています。好きになると嫌いになるか大好きになるかのどちらかに進みます。嫌いになると好きになるか無関心になるのです。大好きになると好きになるか大大好きになるのです。
大大好きになると大大大好きになってしまうのです。
大大大好きになるともう後戻りはできません。
大大大好きなものを「好き」と言えるのは幸せです。
好きなった事を文章で表現することは難しいことです。
幸せだと文章で表現することも難しいことです。
学校での試験勉強は好きになることを許してくれません。
標準偏差値が低いことは悪いことだと暗に教え込まれるのです。
横並びで標準偏差の順番に学ぶ学校が決められるのです。
Aランクの学校からFランクの学校までランク分けされるのです。
Aランクで最下位の人とFランクの最上位の人は幸せなのでしょうか?
幸せを標準偏差で決めることはできません。
幸せには平均も最大も最低もありません。
幸せになるには好きなものを見つける。
好きなものが大好きになる。
大好きなものが大大好きになる。
あなたが好きだと思っているものは本当に好きなものですか?
大大大好きならば裏切られることはありません。
大大大好きになると好きという表現で言い表すことはできません。
好きだと思っている対象物さえわからなくなるのです。
好きな人がいます。
性別も育った環境も将来性も生きていなくても関係なく、その生き方、教えが好きです。それは宗教であり哲学です。
哲学と民俗学の伝道者 南方熊楠さんが好きです。
南方熊楠さんは和歌山県和歌山市に生まれ、東京での学生生活の後に渡米、さらにイギリスに渡って大英博物館で研究を進めて多くの論文を発表しました。1893年(明治25年)に科学雑誌「ネイチャー」に「東洋の星座」を発表してから「ネイチャー」「ノーツ・アンド・クエリーズ」に次々と寄稿して生涯で「ネイチャー」に51本の論文が掲載されています。これは単著としては歴代の最高記録になっています。帰国後、田辺市に住居を構えて博物学、民俗学、人類学、植物学、生態学などさまざまな分野に広がっているのは一つの分野で関連性のある学問をすべて学ぼうという姿勢からでたものです。熊楠曼荼羅と表現される知識のネットワークです。
好きから大好きになり大々好きのさらなる上を極めた人です。
好きなことを見つける。
南方熊楠さんが好き。
九十九王子が好き。
熊野王子が好き。
熊野古道が好き。