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人生の肥やし

無から有になり有から無になるのが人生です。環境、経験、知識や技術を学んで価値観は進歩します。進歩の過程で古い価値観は削り取られるのですが、それは無駄でも無用でもゴミでもなく肥やしとなるのです。最後に残るものは肥やしです。

男は、使い込まれた革張りの椅子に深く腰掛けた。窓の外には、夕日が赤く染める庭が広がっている。視線の先には、雑然と積まれた段ボール箱。中には、黄ばんだ設計図、使い古した製図用具、海外出張の土産物、子供たちが幼い頃に描いた絵…、男の人生が詰まっている。

「お父さん、またゴミ屋敷化してるわね」。娘の声に、男は目を細めて笑った。「これはな、俺の宝物だ。人生の肥やしってやつさ」

男は、かつて大手建設会社のプロジェクトマネージャーとして活躍した。数々の難工事を成功させ、部下からの信頼も厚かった。その過程で、常に新しい知識や技術を吸収し、時には古い価値観を捨て去ることも必要だった。まるで、大木が成長する過程で、不要な枝を落とすように。

「あの頃は、とにかく上を目指して突っ走っていた。徹夜も当たり前、休日出勤も厭わなかった。家族との時間も犠牲にしたかもしれない」男は、少し遠い目で呟いた。「でも、無駄だったとは思わない。あの経験があったからこそ、今の俺がある」

段ボール箱の一つから、古いアルバムを取り出した。そこには、若き日の男と、笑顔で寄り添う妻と子供たちの写真。ページをめくるたびに、様々な思い出が蘇ってくる。

「ほら、この設計図。これは、あの有名なランドマークタワーの初期案だ。結局採用されなかったけど、俺の自信作だったんだ」男は、誇らしげに笑った。「それに、この海外出張の土産物。これは、あの時取引先との交渉が難航して、徹夜でプレゼン資料を作り直した時のご褒美さ」

一つ一つの品物に、忘れかけていた記憶が刻まれている。それは、成功だけでなく、失敗や挫折、苦悩の記憶でもある。しかし、男はそれらを全てひっくるめて、「人生の肥やし」と呼ぶ。

「これからの人生は、この肥やしを使って、何を育てようか」。男は庭を見つめ、目を輝かせた。そこには、妻が丹精込めて育てた色とりどりの花が咲き乱れている。

「そうだ、今度は俺が、この庭をもっと素敵にしてみせる」。男は立ち上がり、庭へと続く石畳をゆっくりと歩み始めた。

#創作大賞2024 #オールカテゴリ部門 #ショートショート #パンダ大好きポッさん #名も無き小さな幸せに名を付ける

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