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皮肉な自由(看守)

冷たいコンクリートの壁が、空を四角く切り取る。まるで、この場所にいる者たちの自由な心を閉じ込めるかのように。ここは、政府が定めた「幸福」の型にはまらない者たちが、「再教育」という名の矯正を受ける場所、矯正収容所だ。

私は、この施設の看守。規則正しい生活、模範的な言動、そして常に「理解している」という態度を保つことで、私はこの場所での自由を確保している。しかし、それは全て「ふり」でしかない。

収容者たちは、「怠惰」というレッテルを貼られた芸術家、「反抗」とされた活動家、「非協力」とみなされた学者など、様々な背景を持つ。彼らは、画一的な価値観に縛られることを拒み、自らの信念を貫いた結果、自由を奪われた「劣等生」なのだ。

例えば、絵画を愛する青年は、政府が認可した絵画しか描かないことを拒否し、収容された。彼は、心の赴くままに絵筆を走らせ、魂を込めた作品を生み出すことを望んでいた。しかし、政府は彼の絵画を「退廃的で有害」とみなし、彼の自由を奪ったのだ。

私は、彼らの自由な精神に、どこか羨望を感じている。彼らは、たとえ自由を奪われても、自らの信念を曲げない。彼らの瞳には、抑圧された怒りや悲しみだけでなく、希望の光も宿っている。

一方、私は、政府の定めた「幸福」の型にはまることで、自由を得ている。しかし、それは真の自由と言えるのだろうか? 私は、彼らの自由な精神に憧れながらも、それを恐れている。彼らの自由な精神は、私の偽りの幸福を崩壊させるかもしれないからだ。

今日も私は、規則正しい足取りで施設内を巡回する。鉄格子の向こうには、抑圧された感情が渦巻いている。彼らの心の叫びが、私の心に深く突き刺さる。

「私たちは、機械じゃない!」

彼らの声なき叫びは、私自身の心の奥底に眠る自由への渇望を呼び覚ます。私は、看守の仮面を被った、もう一人の囚人なのかもしれない。

この矯正収容所は、社会の縮図なのかもしれない。画一的な価値観を押し付ける政府、それに盲従する人々、そして自由な精神を奪われた囚人たち。私は、この歪んだ社会の中で、一体何を守っているのか?

私は、この問いに答えを見つけることができるのだろうか?

#ショートショート #パンダ大好きポッさん #名も無き小さな幸せに名を付ける

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