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自分の価値観

自分の価値観を他人に押し付ける事はしませんが、他人が自分の価値観を押し付けてきたならば拒みます。それが頑固だと思わられている事は知っています。

若い頃は他人の価値観を自分の価値観にする事が学ぶ事だと理解していたので勤勉で従順で良い悪いの判断をする必要はありませんでした。

でも悪い人はいるのです。他人を利用するだけ利用して利用できなくなったならば縁を切るのです。良い人の基準が自分にとって都合が良くて利用できる人です。自分が好きな人は良い人で自分を嫌っている人は悪い人だと良い人悪い人の判別をしたならば自分の好みで世の中を支配するのと同じです。

その結果、次から次へと縁を切って切って切って孤独になるのです。
心の赴くままに行動したならばその先にあるのは虚しさだけです。

自分の周りにいる人が自分にとって利用価値があり、自分を嫌う事なく、自分が良い人だと思った人だけであったならば、それ以外の人は私の周りの外にいるのです。自分の周りにいる人はどんどん減っていきます。自分で壁を作り、その中に閉じこもるつもりではなかったのに気がつけば孤独になるのです。他人が嫌がる事はしませんが、自分が嫌がる事は自分でなければしてはいけないのです。

孤独から抜け出す手段は他人の役に立つ事です。自分が気づかないだけで誰かの役に立っていればそれは孤独では無いのです。誰の役にも立っていないと思ったならばそれは孤独です。

孤独は楽しい事ではありません。孤独でなければ楽しいのです。誰かの役に立っていれば楽しいのです。自分の子どもは生きているだけで親の役に立っているのです。

役に立たなくなったから縁を切るのは自分も役に立たなくなって捨てられるのです。役に立たなくなった部分を補って役に立つ事で自分も誰かの役に立てるのです。

縁を切るのは縁を切ろうとされた時です。縁を切られる前にこちらから切ってしまうのです。思いやりとは役に立つ関係を維持する事です。

介護は思いやりです。生きているだけで役に立っていると思うから介護をして長生きして欲しいのです。介護は心です。思いやりのないお金儲けだけの介護は苦痛です。介護される方もする方も苦痛です。

心とは厄介です。目に見えない、出せと言われても出せません。でも心はあるのです。心理学で捉えている心と日常で感じている心は違います。

学問として心を見るのではなく、自分の心と相手の心の関係ですから文章にしたり言葉にしたり絵に描いたりはできません。なぜなら一瞬で変わるのが心ですから。

私の価値観は心が決めます。だから一瞬で変わります。