見出し画像

愛する娘のために、乾杯を封印した男(父親)の話

父はいつも家にいた

私の父は口数が少ない。

超無愛想というわけではないが、かなりの人見知り。自分の兄弟(私にとっての叔父)にさえ久しぶりに会うと、ちょっと緊張してない?といった様子だ。

昔から父はいつも仕事が終わるとすぐに家に帰ってきた。仕事柄、朝早くに家を出て夕方にはいつも家に帰ってきていた。

学校から帰ると、父はいつも家にいた。それが我が家の普通だった。

成長していくにつれ、そうではない家庭があることを知る。カツオやワカメはいつも波平を「お父さん、おかえり」と出迎えていたし、マスオは仕事帰りに居酒屋に寄っていた。

周りの友達にも、帰りが遅いお父さんがいることをだんだんと把握した。

相変わらず、父はいつも私を「おかえり」と出迎えてくれた。

乾杯を封印していたことを知った、20歳の誕生日

私は成長し、20歳になった。

ハタチになったその日、人生で初めて、父がお酒を飲む姿を見た。

既述のようにいつも父は仕事が終わるとすぐに家に帰ってきていて、飲み会というものに行く、もしくは行ったなんてことは聞いたことがなかった。そもそも父はお酒が激弱で一口も飲めないと聞いていたから、家で飲む姿も見たことがなかった。

「パパお酒飲めないじゃん(笑)」

そう言うと、「飲めるし」といつものボソボソ声で言ってきた。

私はその時、父がお酒を飲んでいたことについて、特に気にしていなかった。娘がハタチになったと思うと、飲めない酒も飲みたくなるもんなんかねぇ~なんて思ったくらいで。

缶ビールを半分くらい飲んで、父はソファで寝始めた。

「やっぱりパパってお酒弱いんだね」母に言った。

「22年以上ぶりのお酒だからね~身体がびっくりしたんじゃない?」

「昔は飲んでたの?お酒」

この時、「お酒を飲めない人」だと思っていた父が、「お酒を飲まない人」だったことを知った。

父は、母が2つ上の姉を妊娠してから、この日、私が20歳になるまで、22年間(+妊娠期間)お酒を飲まないと決めていたらしい。それにはちゃんと理由があって、「娘になにかあったときに、父親の俺が車で病院に連れて行くことになるかもしれないから」だと。

その話を聞いたときは「いや、真面目か(笑)」とか言ってたけど、後で父の寝顔を見ながらちょっとだけ泣いた。

無償の愛という存在

気づいてないだけで、他にもたくさんたくさん我慢して、育ててくれたんだと思う。

今思えば、いつも家にいてくれたのだって、私たち姉妹が寂しい思いをしないようにだったのかな。(父は幼少期、きっと寂しい思いをしてきた人だから、そうはさせまいと思っていたんだと思う)

仕事が休みの日だって、友達と遊びに…なんてほぼなかったから、パパは友達いないんでしょー、なんてたまに笑ったりしてたけど、20歳の誕生日を境に地元の友達とたまに遊びにいくようになった。(友達いたんだって感じ…w)

私はもうすぐ、26歳になる。姉が生まれたとき、父は26歳だった。

この年になってわかる。26歳の飲みの誘いの多さ。楽しさ。上司からの誘いもあっただろうし、友達と馬鹿みたいに朝まで遊んだり、したかったかな。

父からの愛を「無償の愛」だ、なんて思ってた時期もあったけど、それは本人決めることであって、見返りを求めてないなんて私が思っちゃいけないね。

まだまだ未熟で、未だに心配かけてて、父にしてあげられることは少ないから。

時々冷えたグラスとビールをだして、2人で乾杯をしている。封印していた間の乾杯を、取り戻すように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?