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半年に一度。優れものの洗濯剤を買求めに出かけたのだけれど、いつも買い物の友だった紀ノ国屋のナイロンバッグを電車に置き忘れてしまった。読書に夢中で一瞬忘れたのだ。今ごろ相棒はどこでどうしているだろう。急に心が苦しくなる。そんな小さな悲しみを生む自分に出会い動揺する私。ごめんなさい。
Pausch Bridge Light Show
昨日、”Encounter”という曲がお披露目された。いつも最新のポップミュージックをわかりやすく解説してくれる男子高校生の作品。とても聴き心地良い軽快なボカロポップ。ボカロはちょっと苦手だったけど、心地よく聴き入っていたら、このライトショーを思い出した。
『最後の授業』で一躍有名になった、カーネギメロン大学のランディ・パウシュ教授の遺志を讃え伝えるインスタレーション。
人が出会うことのさまざま。 もっとみる
初めて聞く昔話。というか打ち明け話。私が生まれる前の出会う前の父の話。突然母の口から飛び出してくる。興味と戸惑いと懐かしさ。脳内シアターで映画を観ているようだった。それは不器用、無配慮、びっくり仰天、健気、孤高、愛情など。思い出の中の父の姿に色合いが増した。もっと会いたくなった。
母の懸命に歩く姿。スローモーションの様、ゆっくり歩いて半分位のところで振り返って見るとそのまた半分位後ろで一生懸命足を運んでいる母。さりげなくじっと待つ。じんとなる。食欲なんてどこか行ってしまった夜の帰り道。駅前のお蕎麦屋さんに辿り着き、二人並んで腰掛けて冷たいお蕎麦をすすった。
めんどうくさいことは、
一日分の日常を過ごすなかで欠かすことなくやってくる。
いつものこともあれば、思いもよらないことも当然やってくる。
めんどうくさいって思うことをやり抜かなくちゃいけない、
そう思うときは、傾斜の少しきついのぼり坂をひたすらに歩く気分だ。
少し無心になれるようでもあり、
その先になにかがあるからと根拠のない理由で頑張ったりする。
いつのまにか、めんどうくさいことが少しずつ好きになったら儲けものだ
惹きつけられるものにとことん喰らいつく経験をしなくては。
喰らいつくことで初めて見ることのできる景色があることを知る様になって、
そしてこれまで英語で言うならfew experiencesだ。
生きていられる時間は限られている。
フジコさんの人生の中で語ってくれた言葉が刺さる。
生きとし生けるものはみな支えて支えられて生きている。知ってか知らずかのまま。それは精神的なものというより、殺生な世界での意味。生かされていることに感謝し、生きているか生かしているか、常に問う感性を養う。そしてそれらをことばによって表わす。人として一人前になる為の道程に漸く気づく。
「結実させるということ」昨日の大きな気づき。キーワード。至らなかった理由。前進出来るだろうか。前進するしかない。何かみちが見えてきた。自分で切り拓くしかないみちが。
砂時計の砂地を歩んでいるのだ。そんなことに漸く気づいた。仲良しのよっちゃんと裏の林山に入り蟻地獄を探しあて、蟻が砂に埋もれゆく様子をじっと二人で観察していた。否、今、恐怖と希望の視野が広がったのだ。誰かは成熟の過程だと囁き心落ち着かせてくれるかもしれない。紡いでゆく。未来よ。
私は何で出来ているのだろう。経年の凡ゆる接触でできたシミ、傷、剥がれ落ちた皮ふ。それらが形成される交換条件に密かに棲まう私の化身たち。出会うべくして出会った正体不明の過去たち。そのおかげでどうにか前に進むことができ、少しずつ心身に厚みが加わる。どうかすべてに喜びがありますように。
喜怒哀楽を家族と共に経験するって人生の醍醐味。でも最近二番目が出入りして疲れ気味。心ない人間に対する荒れた感情が飛び交ってしまう。時間も意識も限りあるもの。大切に豊かに人生費やしたい。けど見て見ぬふりで通り過ぎてもいけない。守らなきゃいけない人がいるから。でもほんとは守られたい〜
怒りや悲しみといった負の感情。まるで荒波に揺さぶる船のデッキにしがみつき、ただ標灯を見失わぬ様にと必死なだけ。過去と未来をちゃんと繋ぐ為の試練だと、何かを学ぶ為ってわかっている。発露する怒りの感情の稚拙さに呆れ、やり場のない悲しみと得体のしれない後悔の波にまた呑み込まれながらも。
最近、果物のコンポートづくりにハマって日常に。丁寧に包丁入れて種出し後、シュガーをふりかけ、自然の雫石が滲みてるのをじっと眺めて楽しむのだ。その後には自然の実りを頂くのだ。最高のご馳走。頭の中煮詰まって心が不安に苛まれるときの避難場所になっている。でも、本当は人に会いたいのだな。