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存在としての言葉(池田彩乃)/耳澄まし(草野浩一)/数に滅びる(風野瑞人)

存在としての言葉

2020年7月7日

正当性に溢れた有益なツイートで氾濫したタイムラインの濁流を眺めていたときの、足が竦む感覚を覚えている。「今、この濁流に言葉を放ったら死ぬんだろうな」と思った。言葉が死ぬ。怒りを伝える言葉、誰かを納得させるための言葉、有益である存在、無益な感情、誰のためでもない意味のない言葉が許されないことは恐ろしい。
4月に『観光記』という本を刊行した。
不要不急の本を作ってしまったと後ろめたさを感じていたけれど、落ち込んでいる暇もなく有り難いことに納品の準備で忙しくなった。詩集を取り扱ってくださっている全国約十店舗の個人書店は休業を余儀なくされる中、オンラインストアに掲載してくださったこともあり、新刊は予想以上の速さで売れた。連動するように既刊の詩集もよく動いた。今、なぜ詩集なのだろう。自分がタイムラインという「世間」を見ているときの体感とずれていて不思議に思わずにはいられなかった。

詩集の取扱店のひとつである東京のSUNNY BOY BOOKSの店主高橋さんがメールで教えてくれたことがある。「震災のあと詩集が売れましたよ」と。高橋さんは東日本大震災が起きた当時、大型書店に勤めておられた。「SFみたいな圧倒的な映像(津波の)を前にしてコトバを失った分、取り戻そうとしたように思いました。状況は全く違いますが、SNSを前につぶやくのすら身構えてなにも書けないみたいな人(書くなら意味あること書かなきゃみたいな風潮?)結構いる気がして、その人たちも同じようにコトバを失っているのかなーなどと。」高橋さんの言葉で初めて詩集たちが売れている現実と私の体感が繋がった。いろんな人が言葉を失っている。そして詩の言葉を読むことで、失われた自分の言葉を取り戻そうとしている。

コロナウイルスと共存していくにあたり、私たちは「他者を守るためにひとりでいる」という新しい存在の仕方を模索してゆくことになった。いかにひとりでいるか、ひとりでいながらひとりでいる誰かの傍にいることはできるのか。この問いかけは私が個人的にここ数年「自由研究」というカテゴリに置き興味深く考えていたことのひとつだった。
私が「あなた」と書くとき、あなたとはこの世界に散らばっているたくさんのあなたであり、読んでいるすべてのあなたが「私」として受け取ることが可能な存在としてのあなたである。詩集が開かれるときにはあなたの元で「点在する私(に限りなく近い意識体)」が存在として立ち上がる。会っていなくてもふれている。ひとりとひとりで一緒にいる。言葉は、本は、そうした体験をもたらしてくれる。これはひとりで書き、ひとりで読むからこそ叶うかけがえのない事象だ。
コロナウイルスという見えない脅威の前で、誰しもが感染し得るという不安は私に不思議な一体感を感じさせた。病気は人を選ばない。相手のことも自分のことも同じくらい大切にしないと、誰のことも守れない。住んでいる町も職業も年齢も関係なく、等しくリスクを抱えている。等しく安心を求める権利がある。そもそも生きていることがそうであるはずなのに、同じように感じることができないのはなぜなのだろう。

この星に生きる私たちが得たひとつの病が可視化させたものも、やがてまた見えなくなるだろう。そのとき私は見えないものを見ようとするだろうか。言葉の持つ力を信じ、本という存在を頼り、あらゆる隔たりを越えようと試みることができるだろうか。越境する、分断しない、点在できる私の、私たちの存在と病の行先をここで見ている。

プロフィール
池田彩乃(いけだ・あやの)
1990年生まれ京都府在住
2010年より私家版詩集の制作を始める。
企画、朗読、季刊誌の制作、映像作品、インスタレーション作品の発表など、媒体を問わず詩の傍らで制作を続ける。
「おめでとう」という屋号で写真撮影や紙のものづくりのお手伝いもしています。
http://ikdayn.main.jp/
https://note.com/ayanoikd
https://www.instagram.com/ayano_ikeda_/
https://twitter.com/i__ayano
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■2019年より詩人の櫻井周太さんと「点描と稜線」として詩の合評会を主催をしています。延期になっていた合評会を8月に初のオンラインで開催することになりました。このお知らせを見ておられるときにまだ受付中でしたらぜひ!
https://twitter.com/tenbyou

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耳澄まし

2020年6月7日

ながれゆく風景のなかみつけたる花満開にして記憶に終う

休業のお知らせばかりぽろろんとはるかな雷のごとき着信音

風待ちのコンビニ袋息づいて人影あらぬビルの谷間に

張り紙の文字の褪せゆく日の暮れをなおも空しく朱にうかぶ雲

こぶしもて回転扉おすときのおもいもよらぬゴツんの音は

巣篭もりの雨ふる空のあかるさの窓へちかづく寝巻きのひとは

指さきにかかるつよさのおとろえる頬の髭そぐ在宅勤務の朝
ゆびさきにかかるつよさのおとろえるほおのひげそぐざいたくのあさ

まだ見えぬ損失のこと耳澄ましみみすまし聞くそしらぬふりに

ひとのいた痕跡たどりそののちの業務おわらせアクセスを断つ

ベランダは月をみるため想うため身に棲むひとをそっと呼びだす

文明のゆりかごのようゆれている部屋のあかりの下に暮して

青葉うつ雨の音ほそく二次元の地図をそめゆくパンデミックは
あおばうつあめのねほそくにじげんのちずをそめゆくパンデミックは

水を掻くように空を掻く夢にして恐れているねたぶんわたしも

閑ふかき商店街のくず箱に鼠の尾はありくろぐろとあり

あたらしい秩序のなかに身をおいてレジの音さびし雨だれのよう
あたらしいちつじょのなかにみをおいてれじのねさびしあまだれのよう

張り紙は終の知らせとかわりたり余白にきよし礼のことばは

しろたえの検索窓へのびるゆび Station City 虚無となる日の

目を瞑る午後のひととき枕木を轢く音のかわり河ゆくところ
めをつむるごごのひとときまくらぎをひくねのかわりかわゆくところ


プロフィール
草野浩一(くさの・こういち)
1961年生まれ。神戸在住。短歌同人誌「Cahiers」編集長。未来短歌会(夏韻集)所属。
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目に見えぬモノの足音はじわじわと近づいていた。それは三月の終盤に感染、罹患とは違うかたちで一気に押し寄せきた。相次ぐイベントの中止、関連会社の休業のお知らせだった。イベント、ディスプレイ業界の復興のできる日はまだまだ遠い。


数に滅びる

2020年6月24日


薄々感じていたけれど、世界はすっかり数に抑えられてしまった。液晶テレビの画面の向こう側、少し癖のある英語で「Pandemics」と告げられた瞬間、まわりの空気の中から黒い霧のように、数字が一気に正体を現すのが見えた。それまで何も目に映ることはなく、重さも感じられず、ただ漠然と生きる辛さに苛まれていたけれど、実はたくさんの数字で世界は既に溢れていたのだろう。

1 2 3 4 5 6 7 8 9の悪魔のコード 吐息が痛い

数は、いつも僕たちの社会を取り囲んでいた。不平等な制度、不均衡な武力、理不尽な差別、偏在する資産。時代時代でときにそれらが見え隠れすることはあっても、できるかぎり身を潜め、刃を隠し、オールトの雲のようにこの社会を包んでいたのだ。ただそれらがひとたび具体的な数字に変態してしまうと、刃のもたらす痛みを感じる人間と無視する人間のあいだで諍いが起き、世界はカオスに陥る。人という種の歴史は、そのリピートの記録に過ぎない。

またひとつ十字のかたちに燃えるもの ビッグデータをいくつ壊そう

「Pandemics」は数のいち形態として世界を覆い、今も人々の間に刃を立てて切り離している。あなたは、どうなの。きみは、どうなの。いや、違うよ。いえ、違うわ。数字の疑心暗鬼は強力で、鋭角的につながりを断っていく。そうして世界じゅうの人間の心は今回も簡単に制圧され、病に限らずありとあらゆるシーンで「分断」のキーワードが加速した。

両の手をひろげて互いに引きなおすかつて外した不可侵領域

今回の「Pandemics」は、はたして何度目のカオスになるのだろう。数字がいったん正体を現すと、全ての人の関心は、増えるあるいは減る、そんな数そのものの変化に奪われてしまう。数字の裏で蔑ろにされてしまったものたち――ひとつひとつのいのちや訴えや非業な事件――が、ブラックホールのようにいっきに飲み込まれているのに気づくことなく。もう、人はただ日々の統計が奏でる旋律にしか耳を貸さなくなり、哀しみの血に染まった叫びもいつの間にか忘れ去られる。

この星にふたたび生まれたカオスから未来を赤く塗る匂いがする

今、外はどうなっているのかと、バルコニーに出てみた。もちろん「Pandemics」は人という種を頂点に置いた勝手な話で、空は相変わらず自由に曇ったり晴れたりしているし、動物や植物たちが自らの生存競争に合理的に忙しいのも変わらない。溢れ出る数字は、実は生態系のトップと思い込んでいる人間として世界を見る角度の問題で、その歪んだ心のプリズムに翻弄されているだけなのだろう。目の前の今を、未来をもう数字で追わない。そうならない限り、この「Pandemics」がたとえ消えてもまた別の数字の形態がきっと現れる。次も、ウイルスかもしれない。それはもっと単純な、人間同士の行為かもしれない。そして今度こそ、ほんとうにカオスだけでは済まないかもしれない。

数 数 数 数 数 数 数 数 数 数 数 数 数にいつか滅びる


プロフィール
風野瑞人(かぜの・みずと)
東京コピーライターズクラブ元会員、現在は介護福祉士。かつて仕事ではいくつもの広告を作り賞もいろいろいただけました。プライベートでは長く現代詩を書いてきて、短歌に軸足を移してまだ8年ほど。とにかく書くこと、表現することに時間を割いて、ことばに固執し続けた人生。でも、まだまだです。元「詩学」新人、第46回全国短歌大会(現代歌人協会主催)大会賞・穂村弘賞、富士山大賞優秀賞、短歌研究新人賞佳作、東京歌壇特選他。歌人集団かばんの会会員、未来短歌会・黒瀬欄所属、短歌同人誌「Cahiers」同人。
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歌集は出したことがないですし、詩集は別名でずいぶん昔に1度出したきりですし、立派な告知ができるものは何もありませんが、かばんや未来に載せていただいている詠草をnoteで、無料でお読みいただけます。よろしければ。
https://note.com/kmizuto


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