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[インタビューズ](文月郁葉)/日記にも書けない(奈良絵里子)

[インタビューズ]片方はなくなられたいのちのために灯す火。もう一本は今生きているいのちへの火

2020年8月7日


——この質問をお送りしているのが、全国の緊急事態宣言が解除されて、Go To トラベルキャンペーンが始まろうとしているタイミングです。暮らしている地域やご自分のいる環境によっていろいろだと思うのですが、そしてざっくりした質問なんですが、「コロナ禍」と言われ出してからここ最近はどうですか、お元気ですか。

現在、私はいわゆる観光地や別荘地と呼ばれている場所に職を得て暮らしています。

新型コロナが国内で蔓延し始めてからは「疎開」という呼称がついたことに対して複雑な思いを今も抱えています。仕事では売上を出さないといけませんが、感染者が出たと言われる地域で働くことを御家族に反対されたというスタッフもいます。
本来であれば今頃から一年で最も売上を伸ばせる時期に入りますが、今年に限ってはどうなるかが見通せません。休業前、休業中と比べると気力や体調に関しては問題ありません。


——「自粛の要請」や「三密の回避」「Stay at Home」「新しい生活様式」などによる影響はどんなものがありますか? こういうキーワードたちとどういう付き合い方をされていますか?

仕事に関して言えば「三密の回避」が通常の業務に変化をもたらしました。こまめな消毒作業や換気もあり、これまでと同じようなおもてなしは現状では出来ません。また、売上や来客数も昨年と比べると低いですが今年は仕方ありません。その代わり営業時間を短縮してスタッフの負担を減らす工夫をしています。

歌会は自粛期間中はオンラインで参加していました。オンラインであることで休業中も鏡の会や海市歌会、選歌欄の海彼歌会に頻繁に参加出来たことは気分転換にもなり、孤独感をやわらげてくれました。


——睡眠や食事、体調や精神的な変化などありましたか?

休業前はとにかく漠然とした、けれど強い不安に苛まれていました。いざ休業が決まれば決まったで初めてのことばかりで手探り状態。休業が始まり、自粛期間で家にいるだけですと血行が悪くなったからか足裏がカサカサになっていて驚きました。

また、締りのない生活を送っていると気力が低下する一方なのだと実感した二ヶ月間でした。


——今、自分が大事にしたいこと、ものなどを教えてください。

営業再開が決まり、休業期間が残り僅かになった頃から今までで自分を立て直すために役に立ったことは日々のルーティンでした。

テレビを見ることを控えてラジオに耳を傾けながら朝は歯磨きから始まり、体を動かし、ぬか床を混ぜ、弁当と朝食を作り、出勤前に珈琲を飲み、気圧が低くて調子が悪いと感じたら朝や夜に肘湯をします。寝る前もラジオを聴きながらお灸をしてゆっくり過ごす。最近はそういったことのひとつひとつが「生きている」ことなのだと噛みしめています。


——制限されることや変化せざるを得ないことが増え、それが日々変わってきました。2月あたりからの状況のなかで思っていたこと、考えていたこと、今思っていること、考えていることなどを教えてください。

職業柄、心身の安定において現代は情報に振りまわされ、本来からだに備わっている力やいのちの在りようがないがしろになっているのではないかと以前から思っていましたが、こういったパンデミックや自分の仕事の休業を経てより実感しています。

休業中になんとなく心の慰めになったのは比叡山延暦寺の不滅の法灯でした。長い年月を変わることなく灯し続けられてきたゆらめく灯りが二十四時間動画配信され、夜中でも視聴するひとがいることを知る。音もないシンプルな動画でしたがかえってそれがよかったのでしょう。

先日、震災がきっかけで始まったという命灯会というイベントがオンラインで開催されると知りキャンドルをふたつ用意して参加しました。参加者同士の対話の前のリフレクションとして二本のキャンドルに火をつけました。片方は亡くなられたいのちのために灯す火。もう一本は今生きているいのちへの火です。

部屋を暗くしてキャンドルをつけて、その火の美しさにただ驚かされました。部屋を明るくしていたらこれほど見とれることもなかったでしょう。暗いからその火の明るさを本当に知ることが出来るのだと。

このパンデミックを通して自分のいのちや心身に深く向き合ったひとは多いと思います。自分自身にとって必要なものをクリアな目で見て選択できる社会になってゆけば良いですね。


プロフィール
文月郁葉(ふづき・いくは)
2007年から作歌を開始。2014年に未来短歌会に入会。陸から海へ欄所属。「Sister, My Cassandra」で2019年度未来賞受賞。
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金沢市での超結社歌会、鏡の会にときおりオンラインで参加しております。また、このコロナウイルスの感染状況がおさまったら長野市での超結社歌会、てかがみ歌会も再開したいと考えています。
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休業が決定した4月8日にセラピスト仲間であるKanaeさんといちごつみをしました。それをまとめたのがこの『ちょぼの部屋 いちごつみ歌会  Kanae&文月郁葉』です。自粛期間中の心の動きが少しでも伝われば幸いです。


日記にも書けない

2020年8月25日


2020年4月1日から5月にかけて、ブログで毎日日記を書いていた。8月末の今読み返してみると、どこか現実感が薄く、その前とも今とも少し違う日常を送っているのがわかる。
 
 私の日記は、朝起きてから寝るまでの出来事をひととおり書くスタイルで、その日食べたものとか外出の有無が世界につつ抜けである。自分の考えとか意見みたいなものも書いてあるけど、とにかく毎日、淡々と記すことに重点を置いていた。

 ところで、私の生活に対して緊急事態宣言はそれほど大きな影響を与えなかった。変化といえば、夫が在宅勤務でずっと家にいることと、毎週末の盆踊りがなくなったこと、在宅ワークの定期受注がなくなったこと。それ以外は週3のパートに変わらず勤務していたし、ただ家で遊ぶ時間がふえただけという感じだった。
 
 日記の中では、ちょっと凝った料理をしてみたり、工作をしたり、部屋の片付けをしたり、読書やユーチューブや、なんやかんや楽しそうにしている。だけど、そうやって楽しいことばかり書いていることにうっすらとした罪悪感もあった。そのモヤモヤはうまく書けなかった。
 
 当時、友人のツイッターや日記を読んでいて、コロナのことで強いストレスを感じていたり、怖がっている様子が書いてあったりすると、私の能天気な日記を読んで感じ悪く思ったりしないかなと心配になった。私だって何も気にしてなかったわけではなかったけど、幸い仕事や通勤も密ではなかったし、切迫した恐怖感はなかった。とりあえずの経済的危機がなかったのも大きいと思う。
 
 そして何より、パンデミックに対して自分がうっすらと興奮を感じていることに、大きな罪悪感を覚えていた。例えがとても悪いけれど、子供の頃に台風が来るとワクワクした、あの感覚が近い。たくさんの人が亡くなって、医療従事者だけでなくいろんな人が困っていた(いる)のに極めて不謹慎だけど、確かに私は興奮していた。
 
 日記にうまく書けなかったのは、趣味の盆踊りのこともそうだ。公式の盆踊り大会や練習会は中止になっていたけど、知り合いの踊り子さんが週1ペースで自主盆踊りを開催していたので、そっと参加していた。マスク着用で、2人から多くて8人くらいの小規模なものだったけど、そのためだけに電車に乗って移動していたし、咎める人もいただろう。

 そういうことだけ日記に書かないのも嫌だったので、公園で踊ったと毎回書いていた。何人でとか、どこでとかは書かなかった。こんな、踊るだけのことを後ろめたいと思ったことが悲しかった。
 
 6月半ばに夫の叔父さんが亡くなった。コロナとは関係なく、2年の闘病の末である。亡くなる1週間前、お見舞いに行ったとき、帰り際にマスクをはずして握手をした。乾燥した皮膚はさらさらしていて、安直かもしれないけど、久々に他人と接触したことに何らかの意味を見出したいような気持ちになった。

 お葬式はマスク着用以外はほぼ通常通りに催されて、県外からも夫の母や親族たちが集まった。叔父さんが亡くなって悲しい。この悲しさは個別具体的なもので、誰に配慮したものでも、後ろめたく思うものでもないということに安心した。
 
 先日、友達に「コロナのことですごく悩んでるみたいだったね」と声をかけられた。1人だけでなく複数人から言われたので驚く。自分ではあんまり悩んでないほうだと思っていたけど、端から見るとそう見えたのかな。なぜか動揺したので、夫に「ねえ、私ってコロナのことで悩んでそうだった?」と訊いてみた。夫は少し考えた後「奈良はコロナ関係なく、いつでも何か悩んでる」と答えた。そうだった、私は昔から何でも悩みがちだった。

 日記の習慣は叔父さんの葬儀あたりで途絶えている。日記を書くのはセラピーのように楽しかったけど、常に世界の“中”にいる自分を意識する行為でもあった。現実逃避ではなく、自分と世界とを適切に切り離すことが最近は必要で、それは私にとって短歌をつくることなのかなと感じている。


プロフィール
奈良絵里子(なら・えりこ)
1986年生まれ。大阪市在住。歌人。最近は盆踊りに夢中。手話勉強中。日替わり店主制の古本屋「みつばち古書部」に「奈良ブックコーナー」として出店中。
文中に出てきた日記ブログ:日々の機微 https://hibikibi.exblog.jp/


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