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母校が150周年を迎えるにあたり思うこと。

母校の小学校が今年創立150周年を迎えるらしい。以前、市が発行しているコミュニティ誌にも記事で載っていたのだけど、今日は小学校からチラシのようなものがポストに入っていた。
150周年記念のキャラクターが決まったようで、5年生の女の子と2年生の男の子が書いたキャラクターが紹介されていた。

150年かぁ…と感慨深い。

この周年記念、私は今まで何度か経験しているのだけど、皆んなこんなに経験するものなのだろうか?

まずは幼稚園

通っていた幼稚園が創立100周年を迎える年で、記念式典みたいなのが催されて劇を演った記憶がある。
劇と言っても「白雪姫」とか「シンデレラ」みたいなキラキラしたものではなく、大きな亀が出てきたような…どんなあらすじだったのかも分からない(忘れてしまった😓)けど毎日毎日練習をしていた記憶が、ほんの薄っすら残っている。
そして100周年の記念品は手作りのお箸置きで、それは園児の親が制作(手作り)した物だった。
園児だけでなく、ママさんたちも大変な日々だったと思う。

次は小学校の120周年
低学年の時に通っていた小学校在学中に創立120周年を迎えた。この時は低学年だったので特に式典に出ることもなく記憶にも残っていない😅

そして高学年の時に通っていた小学校の創立120周年。(今回150周年を迎える学校だ)
確か5年生の時で、「また120周年?前の学校も120年だったし続くなぁ😕」と思った記憶がある。
この小学校は鼓笛隊というのがあって5年生になるとその練習が始まる。私は目立つのが嫌でピアニカ担当(その他大勢部隊)。でも音楽は好きだから演奏は楽しくやっていた😄
120周年式典では鼓笛隊で演奏をした記憶がある。記念品は丸くて大きな文鎮だったような🤔

そして中学校。
一つ下の学年が50期生で、その時に創立50周年式典があった。小学校の頃は目立つのが嫌でその他大勢部隊だったのに、この時は吹奏楽部でトランペットを吹いていて(この数年で何があった?💦)式典で演奏していた🎺

幼•小•中と周年記念に遭遇し、その時々にそれぞれの学校の歴史を感じたり、その時に一緒に居られた同窓生と肩を並べてお祝いできたことは恵まれた偶然だと思う。

「母校」というだけあって、学校は自分を育ててくれ、送り出してくれたお母さんみたいな存在だと今になって思う。今、子供の居ない自分にとって、 「学校」は距離のあるところだけれど、母校にはずっと愛着があって、なにかのニュースで名前を聞くだけでも嬉しくなるし、得意気になったりする。

だから今回の創立150周年も、150年という歴史の中に私も居たということは自慢であり誇りに思った。
そんな風に思えるのは、当時の思い出がちゃんと自分の中にあって、その時代のお陰で今の自分があると思っているからだろう。

今の学校は私が通っていた頃とは環境も変わっているだろうけど、今の子供たちも卒業後振り返った時、誇りに思える母校であってほしいなと思う。

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