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〔むふむふ書房〕それはさておき

☆登場人物☆

コデラシゲアキ:某公立高校の日本史教師にして、図書室を牛耳る首領。まりもっ〇こりのような瞳とベジータみたいなМ字の前髪がチャームポイント。間もなく定年を迎えるようだが、私生活を濁すことを何よりの楽しみとするアルカイックな初老。学生時代を過ごした京都に、大切な何かを置いてきたのかもしれない。

阿修羅くん:三面六臂の美少年にしてコデラ家唯一のメンバー。いつからそこにいるのか、誰も知らない謎多き存在。蓮の葉に溜まった朝露が大好き。というかそれしか食べられない。

瓦木:お弁当の緑のやつみたいなヘアスタイルが特徴のばらん系女子高生。たいてい牧歌的でメルヘン思考だが、たまに負のスパイラルを駆け降りることも。コデラの日本史を受講している。なにかとコデラに構うものの、暖簾に腕押し。

 

202X年5月26日。この日、稀有な自然現象が列島を沸き立たせた。

202X年で最も大きく、最も毒々しい月が見られるというのだから、某公立高校日本史教師のコデラシゲアキは開館時間も何のその、一目散に図書室を閉めて帰宅した。

職場から車で2時間の、木造2階建てオンボロアパートが「七味御殿」と名高いコデラシゲアキの自宅である。

建付けの悪い扉を優しく開けると、お香の香りがふわぁ、と漂ってくる。

心地よい芳香が鼻腔をくすぐる瞬間、コデラシゲアキはこの世の全てが分かるとも分からないともつかない、何とも妙な感覚に襲われるのである。

「阿修羅くん ただいま帰りましたよ!」

意気揚々と居間に駆け込むも、そこに彼の姿はない。座布団ほどの大きさと思われる蓮の葉が、先日新しく張り替えた畳ーイ草の薫りと目に映える青が美しいーに鎮座するだけである。

「極めて冷えていますね、ということは…」

蓮の葉に触れながら脳をフル稼働させる初老の名探偵・コデラシゲアキを見れば、さすがのメルヘン女子高生・瓦木も構わなくなるであろうおぞましい光景。

ふと思い立ったように腕時計を見ると、例の、世にも怪奇な自然現象が起きるまで残り15分を刻んでいる。

コデラシゲアキは台所の流し場の下から水筒を取り出しすっかり色の薄くなった麦茶をつめると、家の鍵もかけず慌てて飛び出した。

最も、盗まれて困るものなど阿修羅くんを除いて何もないのだが。



街灯のない国道を横切る。

ジャスミンを思わせる馨しい香りが夏の足音を感じさせる夜に充満し、コデラシゲアキはうたを詠みたくなった。

しかし今はそんな場合ではない。身の毛もよだち、心浮きたつ奇矯な名月をこの目におさめなければならないのだから。

話声と共に、闇に紛れてちらほらと見える人影は、近くに住む大学生なのだろうか。

否、こんな気味悪い暮夜なら、人ならざる者が闊歩していようと何らおかしくない。

そんな思想に耽っているとコデラシゲアキの心はふわふわと浮きたち、己もこの世ならざる者なのだという気さえしてくるから楽しい。

時の経過によるのか人の手によるのかは分からないが、トタン製の柵を迂回するようにしてできた砂丘をさくさく踏み進むと、急に視界が開け、眼下に夜の海が広がる。

風もない水面はまるで寒天のような静まりようで、不思議な引力で浜辺の来訪者を引きずり込もうとしてくる。

コデラシゲアキは思わずくさめをした。

一で褒められ二でそしられ、三でとうとう風邪ひいた

そんな言い伝えと共に何かを思い出せそうな気がしたそのとき、コデラシゲアキのガラパゴス携帯から、中島みゆきの「糸」が流れ出した。

午後20時09分

赤々とした皆既月食と、今年一番のスーパームーンの

マリアージュ!

それを知らせるアラームなのだが、その存在を忘却の彼方に置いてきたコデラシゲアキは驚きのあまり思わず飛び上がった。

しかしー

今になって彼は耳まで赤く染まるような己の失態に気が付いた。

月を見るために、なぜに私は海まで来たのか…



すかっと晴れ渡る快い空が日本海側のこの土地にしては珍しかったある日、コデラシゲアキは阿修羅くんと共に夕日を見に来たのだ。ちょうど今コデラシゲアキが立ち竦むこの砂丘に腰かけて。

コデラシゲアキにふと、阿修羅くんの顔を拝観したい衝動が沸き上がった。

赤銅色ーちょうど今宵見られるであろう月のような摩訶不思議な色ーの肌は陶器の様につるりと滑らかで、ラクダのように繁茂するまつ毛は不思議な緊張感をたたえる…

阿修羅くんは今頃、どこで何をしているのやら…

空には厚い雲がたちこめ、月と下界の者との間に明らかな境界を作ってしまった。今夜はもう怪奇で皆既なスーパームーンなど見られそうにもない。

左手に携えている水筒が心なしかずん、と重く感じられて、はしゃいでいた自分を再認識し、恥ずかしくなったコデラシゲアキ。

嗚呼、私は次回の皆既月食まで生きているのでしょうか。

と、たちこめてくるおセンチな気持をごまかすように、コデラシゲアキは水筒の蓋を半時計周りに回した。

茶殻を繰り返し使うあまり出汁が出なくなった麦茶。そば茶と見まがうほど色が薄いが、宵闇は皆を等しく隠す。

喉が渇いたわけでもなく、何とはなしに開けた左手の筒の中をじっと見つめると、

片手程の円の中で真珠のように小さく白い粒が揺れている。いや、それは水面に映る月であった。

今夜は月が期待できそうにもない曇天だと言うのに、なぜ?

しかし確かにそれは、麦茶の水面を滑り遊ぶ白い満月である。

振り返るようにして空を仰ぐと、相変わらずの厚い雲層。

コデラシゲアキの筒の中にだけ、満月が顔を出してくれている。

これはきっとー

そう思いかけたとき、紫色の芳香が辺りに立ち込めた。



小刻みな横揺れにつられて目を覚ますと、コデラシゲアキはおんぼろ木造アパートの自室に横たわっていた。

赤銅の様に美しい肌をした少年が、魚のような瞳でコデラシゲアキを見降ろしている。

この端正な顔立ちの少年、阿修羅くんは瑞々しい蓮の葉に溜まる新鮮な朝露でしか生きられない。コデラシゲアキの一日はこの「朝食づくり」から始まるのだが、今朝はどうも寝過ごしてしまったようだ。

「阿修羅くん、おはようございます。今朝はすっかり寝汚いところをお見せしてしまい、申し訳ありません」

そう言って軋む身体を起すと、手のひらにざらついた感触がある。

自他ともに認めるきれい好きのコデラシゲアキは、一日たりとも掃除を欠かさないし、風呂に黴の一つも生やしたことなどない。しかし、そうであるなら、このざらざらの正体は一体何なのだろうか。

しばらく手のひらを見つめていると、何かにつけて気の回る阿修羅くんが仏壇に供えた線香から、郷愁を誘う香りが白い糸の様に漂い始める。

木魚を叩くように、ぽくぽくぽく…

紫色の芳香、ジャスミンのような薫風、鼻腔をくすぐる心地よい香り…

点と点の匂いの記憶が線香の白い薫糸のように繋がって、今、一つになり、コデラシゲアキの脳内を駆けまわる。

「阿修羅くん!出かけたら玄関で足をはらってから家に入ること!」

羽のように軽い心持で、コデラシゲアキは午前8時の雨空に欠伸をお見舞いした。


ー完ー























 


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