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27歳6年彼氏なし女の、こじらせた恋愛のお話。

突飛な理由なんてない。
ただ傷付きたくない。だから私は恋愛ができない。

臆病者が恋愛できない背景を、淡々と語るだけの内容だ。

過去を抉らないためにひとりで生きる

ほとんどの友人には、自分のことを洗いざらい話したいとは思わない。全てをわかって、受け入れてほしいとも思わない。

多くの人と同じように、私にも思い出したくない過去がある。苦しみもがいた日々がある。

親友にすらはなしたことがない軌跡。

それは私だけが知っていればいいことだから。独り身でいるうちは、ひとりで抱えて淡々と生きていた。

だけど、誰かに自分を深く知ってもらうにはその過去を語る以外、術がない。

仮に、一番理解してほしい好きな人にその過去の苦しみを否定されてしまったら。私は深く絶望するから。

もっと怖いのは、「苦しかったよね、わかるよ」とか「でもそれがあるから今の自分がいるんでしょ」なんて軽く共感されてしまうこと。

今の私を支えるのは、あの出来事を乗り越えたという自負心だけだから。

一番理解してほしい人にようやく打ち明けた時に、否定されたり軽んじられたら、きっと私は一生殻に閉じこもってしまうだろう。

そんな弱い私は、自分を守りたいが故に恋愛ができなくなった。

心の弱さを誰にも差し出さずに、淡々と生きていくのは楽ではなかった。

けれど、日々、着実に前進するという意味において相対的に容易な道だと思う。

どれだけ強い人でも、本気で恋愛をすると心は揺らぐ。と、私は思う。

揺らいで、堕ちて、絶望して。

もし好きな人に拒否されるとしたら、生きる意味すら分からなくなることもあるだろう。

だって一番大好きな人で一番認めて欲しい人に否定されるのは、傷つく。想像以上に。

これまで積み重ねてきた全てのものが崩れるような錯覚すら覚える。

だから、堕ちるリスクを冒さずに生きてきた私は、着々と強さの階段を上がることができた。

あれだけ弱く繊細だったのにいつしか、出会う人の多くに「メンタル強いよね」と言われるまでに成長した。

恋愛が出来なくなるというカードと引き換えに。

大人の恋愛=打算?

大人の恋愛は子供と違う。

最初から100%、人を好きになる勇気を持てる人は少ない。我々には日々、やるべきことが沢山あるから。

仕事に家事に、友人関係に趣味。子供の頃のように、疲れたからといって休む暇はない。

心を砕かれて地の底に落ちた時、休むことは許されないのだ。"恋愛如きに"心を打ち砕かれてはならない、大人の流儀だ(と思っていた)。

だから不用意に傷つかないよう、打算が働く。

自分の心を制御しながら、同時にジャブを入れ、相手の様子を伺う。相手を好きな気持ちを認めるのは、相手が自分を好きだという仮説が強固になった時に限る。

勝ち試合しか戦わない。これが大人の恋愛のセオリーだと。恋愛経験が少ないながら偉そうに結論づけてみる。

そして、私自身もこのセオリーにしっかりと則っている。

こうなると、そもそも好きな人が出来なくなる。
もとい、好きになりそうな人の候補は現れるかもしれない。

けれど、負け試合には参加しない私は、本気で好きな人を作れない。1%でも負ける見込みある試合は全て避けるから。必死なのだ、好きになってもらうことにではなく、心を守ることに。

では、「来るもの拒まず、去る者追わず」の精神でいればいいのではないか。そう思うのだが、私はそもそもこじらせている。

自分のことを100%好きな人を好きになれない昔から。

好きなタイプの一要素には、「上から目線で接してくれる人」。必死に優しくしてくれる人には惹かれないのだ。そういう人には、迅速に距離をとってしまう。

だから年に数人表れる私のことを好いてくれる希少な人とも付き合わなかった。

私が6年間彼氏がいないのは必然だった。

別に作りたいとも思わないしと、ずっと思ってきたけれど、それもきっと強がりだった。

周囲と自分自身への強がりだったのだ。

次に傷ついたらもう、這い上がれなくなってしまうかもしれないと思っていたから。そんなことはないはずなのに。

きっと好きだった人

だけど最近、こんな私にも仲良くなりたい男性が現れた。

3か月前にカフェで出会った。複数回ご飯に行った。

私が「プライベートよりビジネスの話しが好き」だと言ったら、仕事の話しを沢山してくれて、私の話しも沢山聞いてくれた。

仕事を一生懸命がんばっている人だから、示唆に富んでいて学びになる有意義な時間だった。

しばしば議論もした。色々な領域において。

一緒に行ったお寿司屋さんがコロナ禍でも盛況な理由を議論した時、「プライベートで女の子の口から『スケールメリット』って聞いたの初めてだわ」って言いながらも死ぬほど笑ってくれた。


嬉しかった。なんだかわからないけれど、とても嬉しかった。

「恋愛の話しは苦手」というと、恋愛について何も聞かないでいてくれた。自分の話は何でも聞いていいよと言いながら、私にはひとつだけしか聞かなかった。「理想のデートは」という質問だけ。

「日常の中で非日常を見つけること」といって、深夜に東京中をランニングした話しやサイゼリヤで豪遊した話しをすると、見た目に反してアクティブなんだねと笑ってくれた。

「連絡は苦手」といって、どんなに連絡を返さなくても、何ひとつ文句を言わない。でも私が連絡したら、すぐに返してくれる。

「距離を急に詰められたら逃げたくなる」と明言すると、全く触れてこなくなった。

息を吸うように触れてくる男性が溢れる中で、カウンター席やプラネタリウムのソファベットに並んでいても、指一本触れて来なくて、その配慮に心温まった。

エレベーターでは必ず下側に立ってくれるのも嬉しかった。

また、どんな天然ボケにも突っ込みもいれてイジってくれる。「腹いてえ」って言いながら笑ってくれる。

そして、「一緒にいてめっちゃ楽しいし、付き合ったらめっちゃ好きになると思う。ストレートにいうのも野暮だけど」とまで言ってくれる。

私だって、彼といると仕事に活用できる学びが得られ、モチベーションにもなる。そして素でいられるし、何より楽しいのだとても。ずっとずっと笑っていられる。

なのに私は、返事を保留してしまった。だって始めたら終わる未来しか来ないから。心を移してしまったら、あとは傷つくしかないから。

傷つかない代わりに

傷つきたくない自分は弱い。とても弱い。

誰の感情も受け取らずに、自分の感情も渡さない。それを繰り返していく人生は、一体どうなるのだろう。何が残るのだろう。

傷つかない代わりに、最上の喜びも味わえない。それでもいいのと何度目かの自問をする。

曖昧な態度をとったのに、彼はまた会ってくれるという。

大した顔面もしていない女に、大した性格もしていない女に、ゆっくり時間をかけようねと言ってくれる。

いい人だなと思う。とても誠実で、素敵で、いい人だ。

「いい人」から「好きな人」になるまでの距離はどのくらいなのだろう。

私がこの人のことを好きになるには、あと何歩近づけばいいのだろうか。

「人は自然に恋に落ちるもの。無理に好きになろうとする時点でそれは恋愛じゃない」。

もうひとりの私はいうけれど、そんな正論が通用しないくらい今の私は追い込まれている。

だって、この先ずっと人の温かさを知らずに生きる自分が時々とても恐ろしくなる。

独善的で冷酷で放漫な人間になってしまう未来が見えて、とても怖い。

一方で、その私の傲慢な理由に彼を突き合わせている気もして、また怖くなる。逃げ出したくなる。

ひとりで静かに過ごしていた日々に、戻りたい。

どうしたら人をきちんと好きになれて、どうしたら人と付き合えますか。

27歳にもなった私には、こんな単純な問いを前に逡巡する、優柔不断な人間だ。

そんな自分が一番、腹立たしい。







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