初めて顔を塗った日
「化粧」というより、「顔を塗った」と言う方がしっくりくる。
先日、人生で初めて顔を塗った。
昔からメイクをしたいという女の子らしい願望は皆無で、そんなものは時間の無駄だと思ってきた。
面倒であることはわかっていた。
毎朝、10分くらい早く起きて化粧の時間に充てること。
失敗しないよう気を遣って仕上げること。
外出先ではメイクの崩れに注意し、必要に応じて直すこと。
コップに口をつける前に、ティッシュでひそかに口紅を落とすことだって。
全部全部、化粧さえしなければ不要なタスクである。
カバンに顔をくっつけて電車で寝ることも、トイレの手洗い場で盛大に顔を洗うことも、メイクをしていてはできない。なんと窮屈なことか。
それでもいつまでもすっぴんでいることはできないと悟ってからは、化粧を始める時期をできるだけ遅らせることを念頭に過ごしてきた。
中学時代、早熟な友人の化粧に気づいたとき。
教室の隅で交わされる女子たちのメイクトークを小耳に挟んだ、高校でのある日。
会う友人のほとんどが化粧をしていることに気づいてしまった、大学の入学式。
この人は化粧をしないだろうと勝手に思っていた友人のまぶたがキラキラ輝いていたのは最近。
わかったのは、みんな一度はじめてしまえば元には戻らない、ということだった。
素顔で笑っていた中高時代が嘘のように、化粧を始めた友人の素顔を見ることはなくなった。
ひたひたと音もなく、その波が自分に近づいてくるのをはっきりと感じていたけれど、目を背け、気付かないふりをしてきた。
最後に自分を飲み込む波は、すっぴんであることの羞恥心なのか、社会的な体面なのか、突然降って湧いた化粧への憧れとか、可愛くなりたいとの欲望か。
そしてとうとうその日はやってきた。
それなりにいい企業のインターンだった。
ネット検索を延々と続け、どこまでも消極的にメイクしない道を探り続けたものの力尽き、化粧をしないで行くことは得策ではないとの結論に至ったのである。
母に化粧品を借り、初めてでもできそうな初歩的なステップを伝授され、人生初メイクに臨んだ。
暗澹とした気分だった。
震える手で眉を描き、メイク動画を見ながら口紅を引いて、そして気づいた。
面倒だというだけではない。
大人になることを認める気がして嫌だったのである。
中身は嫌になるほど子供のままなのに、小綺麗に装って大人のように振る舞うのは、自分からすればちゃんちゃらおかしい。
私なんかがメイク道具を使っても、化粧をしていると言うより顔を塗ってるとか、落書きをしているようにしか見えない。
馬子にも衣装とは言うが、私にも化粧とはならないのである。
それでも、私が成長しない間も時間は過ぎて、年齢の数字だけが増えていく。いずれモラトリアムは過ぎ、教育の手も親の手も離れ、一人で生きなければならない。
嫌だ嫌だとごねたところで、厳然とその時はやってくるのである。
一度化粧をしてしまえばすっぴんには戻れない、その不可逆性は、さながら人生の時間の流れのように感じられたのだった。
通勤時間に混み合う行きの電車で、周りを見回した。
全ての女性が化粧をしていた。
みんながみんな、化粧をしたいわけではないかもしれない。
むしろこれだけ人がいれば一人くらいいるだろう、メイク嫌いの人。
それでもみんな化粧をしているのである。
私もその一員にならなければならない。
毎日顔を塗り続けなければならない。
時間の流れは、止まることがないから。
皮膚呼吸の息の根を止めるように、化粧下地を塗りたくりながら思う。
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