反省と後悔と言い訳は。
いろいろと終わって。
反省している自分が嫌になります。
言い訳しているような気になってしまうんです。
『わかってるんなら、やっとけよ。』
頭の中で自分が言っていて。
分かってなかったから
出来なかったんだけどさ。
反省は未来志向らしいけど
終わった事はどーにもならないので。
結局。
反省も後悔も言い訳も。
矛先は違うものの『後の祭り』なんだなーと。
受け入れる一歩は寄り添うこと。
私はメンタルお豆腐女子なので
簡単な事でペコリと凹みます。
そんな時は自己肯定感ってやつも共倒れです。
こんな事で揺さぶられるなんて
私って
生ぬるい世界で生きてるんだな。って
心の中で自嘲します。
つくづく
自己肯定感があれば幸せなのではなく、
幸せだから、自己肯定感につながると感じています。
こんな時は、誰にどんな声をかけてもらっても、素直に受け入れる事なんて出来なくて、
結局は自分がどう受け入れるかだと思うわけです。
これはセルフコンパッションで『寄り添う』っていうやつです。
だって寄り添わないと受け入れられないし。
内省というのか。自問自答というのか。
寄り添う自分は
最近『パラダイムシフト』という言葉を知った私は、生ぬるい生活を自嘲した私に問いかけます。
『生ぬるくて
楽しくて
幸せな世界に生きて何が悪いの?』
泣きそうな顔の私に
呆れて見下した私が返します。
『生ぬるい世界に生きたいの?
生ぬるい。と。平穏。は別じゃないの?』
4年間の育休生活。
頑張っていない自分は、ダメな自分だと思った事もありました。
頑張りたい!と思った事もありました。
『頑張る』は『苦しむ』だと思って
辛かった時期もありました。
情けなくて、凹んで、でもやっぱり子どもと居たくて。
うすうす分かっていたんです。
私は『頑張りたい』のでも
ましてや『苦しみたい』のでもなく。
『夢中になりたかった。』
『熱く心が燃える事がしたかった。』
私の反省と後悔と言い訳は
ベストを尽くせなかったことにありました。
ベストを尽くすとは程遠い。
当たり前な事ができてなかったと
気付かされて『恥ずかしい。』
『そっか。
ベストを尽くしたかったんだね。
その割には、全然用意できてなくて、
自分自身に対して恥ずかしかったんだね。』
受け入れる自分は
答えを知ってから問題を解くのは優しい事。
なんの情報のない中で
やれるだけはやったんじゃないか。
自分が自分にかけた言葉は
周りがかけてくれた言葉と同じでした。
自分の恥を知って
初めて周りの方が
かけてくれた言葉が入ってきます。
ただ優しい言葉をかけるより
気持ちに寄り添い共感する方が先なんだ。
言い訳は見苦しい。
後悔は意味がない。
反省は次に活かせるかも知れないけど。
全ては『後の祭り』でしかありません。
今に残った自分の感情に蓋をしないで
さぁ。
今できる楽しい事をしようじゃないか!
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