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海のはじまり③ これは誰視点で見るのが正しいのか?

 この話は45歳のバツイチ子無しの男が、ネタバレ全開で感想を述べております。不適切な言葉や的外れな感覚を持った表現があるかもわかりませんが、それを踏まえて楽しんでいただければと思います。

第一話 感想

第2話 感想

 第3話はリアタイで見ることができず、今になってTverで視聴させていただきました。直後に思ったことをひたすら書きなぐります。

 第3話を見てから、なぜだか涙がこぼれだしました。どうも子供の涙や笑顔を見るたびに涙腺が弱くなる傾向があるようです。

 私がドラマの感想ブログを書きなぐろうとすると、ついついドヤ顔でいろんなことを書いて、偉そうなことを語りたくなります。第2話では、図書館に紛れた「くまとやまねこ」という絵本から無理やり考察を試みようとしたりとメンドクサイことをクドクドと語りました。

 3話でも同じようなことをしそうになりますが、しっかり私は泣いてしまっています。すでに土曜日になってしまっている事情もありますが、今回は素直に泣いてしまっている状態で書きます。

 海のはじまりはやっぱり身近には感じられない、とんでもシチュエーションだ

 3話まで視聴した後、いろんな人の感想・考察動画を拝聴しましたが、やはり一貫してとんでもシチュエーションという考えは変わりません。

 元カノが妊娠中絶を行ったと思っていたら、実際は子供を産んでいて一人で育てていた。その元カノが亡くなり、突然血のつながった娘が目の前に現れる。
 そんなストーリーは普通に考えてもあり得ない、大映ドラマのストーリーとしか思えません。

 それでも話の筋は通ってしまっている。ホントにこんなシチュエーションに巻き込まれてしまったら、逡巡しながらも受け入れざるを得ないのだろうか?

 月岡夏(目黒蓮)を自分に置き換えながら、ハラハラとしながら見ていたのが3話であった。

 第3話は有村架純をとことんまで痛めつけるのか

 今回もネタバレ全開で書きますので、NGの方は引き返してください

 第2話まで有村架純を通した目黒蓮の物語とか、わけのわからない論をぐちゃぐちゃと考えていたが、百瀬弥生(有村架純)の知られざるサイドストーリーとして過去に妊娠中絶を選んだ過去がある。その話は彼氏の月岡夏も水季の娘である海ちゃんも知らない。それを知っているのは「浅井悠馬」ぐらいだろう。

 夏も知らないサイドストーリーだから「殺したんだよ」という言葉がいつまでも心をえぐられる。

 もしこれから3話から見ようとしている人がいるならば、引き返して1話と2話をTverを見直した方がよい。それにしてもテレビドラマというのは途中見逃してしまったら、土台が全て崩れ去ってしまう怖さがある。

 よくできたドラマだと1話完結のオムニバスだって油断がならない。1話完結でどのタイミングで視聴しても目いっぱい楽しめるが、必要ないと思っているシーンだってすべて見た時には、土台となる欠かせないパーツとなっており、知らないうちに壮大なサーガとなってしまっている。そのため、視聴しなかった1話が取り返しのつかないことになっている。

 完成してから無くしたことに気が付くジグソーパズルのように

 そう、弥生には誰にも知られていない妊娠中絶の過去がある。だからこそ、3話では弥生のやることなすことに、後ろ暗い過去がちらついてくる。

 子供を産んだ経験もないのに、海ちゃんの母親ができそうな態度や雰囲気を醸し出している。夏のまだまだ頼りなくこの状況を直視できていない状況に対して、弥生の落ち着き払っている態度も見る人が見れば鼻につくだろうが、2話のバックグラウンドが感情を複雑にさせている。

 だからこそ海のおばあちゃんであり、水季の母親である大竹しのぶの恐ろしさが一層際立つ。

 「あの人、子供産んだことないよね」

 うん、私も子供を育てた経験がない。妊娠出産を経験する前に別れを選んでしまった。その後、元嫁がどうしているのか全然わからない。あいつの新しい人生には、私のことなどどこにも書いていないだろう

 私はどちらかというと夏より考えであり、ある日突然子供ができたとなるとかなりうろたえてしまうだろう。いや、この後の人生で良い縁に恵まれ、普通に妊娠出産を経て子供が授かったとしても、やはりうろたえていつまで経っても覚悟が決まらない父親となってしまうと思うだろう。

 だからこそ弥生が想像だけで「私なら海ちゃんの母親ができる」っていう態度や自信がメチャクチャ鼻につく。このドラマの全くありえないシチュエーションでの大竹しのぶが本当にリアルな感情だと思える

 大竹しのぶの夏への態度は「この状況を少しでも想像しろ!!」いつまで経っても状況を呑み込めない夏に対して、「子供を産むとは?」「子供を育てるとは?」を伝えようとしている。

 ここに対してはあまり自信をもって意見は言えないが、結婚に反対し続けている相手側の両親の態度に近いものがありそうだ。しかし、この特殊なシチュエーションで夏はどうするのが正解なのかいまだに答えを探している。

 どちらかというと弥生への態度の方がおっかない。大竹しのぶも口に出していたが「もらい事故」というのが不謹慎だけど適格だ。それでいて、何もかも受け入れ自信たっぷりで「海ちゃんのお母さんに私ならなれる」って態度にイライラさせれれる。夏くんへの言葉も正論であり、正解であるからこそムカついてくるのだろう。

 私は子育ての経験もなければ、結婚生活も人より乏しい。

 それでも、大竹しのぶが有村架純にイライラする気持ちは理解できてしまう。

 私の日頃の考え方や態度も夏くんよりであり、なんでも先回りして察することができ、少し情けない夏くんに対して彼女でありながらお姉さんぽい弥生のなんでもできちゃう感が頼もしいと感じることもあれば、正論ばかりで偉そうに感じるときもある。

 想像ばかりのアドバイスが時として暴力に感じる。その暴力は決して敵ではない、むしろ自分のためを思ってくれる大切な味方ばかりだ。

 だからこそ、根拠のない自信のアドバイスがより鋭い刃となってしまう。

海ちゃんの流した涙でやられてしまった

 「海ちゃんはなんでいつも元気なんだ」

 改めて考えれば夏くんの放つ言葉はあまりにも深い。いつも元気で無邪気に笑うことは良いことだと、違和感なく思えた。夏くんからすれば、お母さんが亡くなってしまうことを達観したかのようにすべて受け入れているのは、強烈な違和感だ。なにより、ずっといなかった父親が突然現れても、すんなりと受け入れているのが違和感の塊でしかない。

 しかし三話を見ている限りでは「そういうものだ」としていつの間にか受け入れていた。よく考えたら夏くんが違和感を感じるように、大竹しのぶも津野くんも思い切り違和感だ。

 しかし、私と同じように違和感を感じていない奴が一人いる

 それが弥生だ。

 だからこそ、「海ちゃんはなんで元気いっぱいなんだ?お母さんが死んで泣きたいのではないのか?」

 いやいや、仮にも父親になるかもしれないヤツが子供に言う言葉ではないだろうと普通に思った。それを代弁するかのように弥生がたしなめている。

 そして海が涙を流し弥生をスルーして、夏くんの胸に飛び込む

 ここでなぜか涙がこぼれてしまった。こんなことを書いている今でも涙がこぼれそうだ。

 この涙はいったい何なんだろう。全然説明がつかない。

 生方美久は弥生をいったいどこまで痛めつけるのか?

 何度も思っているが「海のはじまり」は大映ドラマのようなとんでもストーリーだと思っている。なので登場人物のやることなすことが違和感の塊で当たり前だ。

 それを傍観者としてすんなり受け入れてしまっている視聴者の立場の私がおかしいのであり、このおかしなシチュエーションを自信満々で受け入れる弥生の方がおかしいのだ。

 ライン一つとっても芸が細かすぎる。夏が海ちゃんのところに行くのは何となく理解できる。しかし、今カノだからって当たり前のようについてくる弥生のやることの方がおかしい。

 その当たり前すぎる違和感を「一人で行ってくる」のラインでぶった切る演出があまりにも残酷だ。

 ここまでやると、もはや有村架純が自信過剰のいけ好かないお節介女にしか見えない。坂元裕二の影響だと登場人物に感情移入しすぎてホントに嫌いになってしまうのが恐ろしいところだ。これが野島伸司や宮藤官九郎だと、どんなに癖のあるキャラクターでもフィクションだと割り切れる。

 しかし有村架純には知られざるバックストーリーがある。有村架純はこのまま痛めつけられて終わるのだろうか。

 このままやられっぱなしで終わってしまうのだろうか


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