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時間や歴史にこそ価値がある

SNSのおかげで、いろいろな情報が簡単に手に入るようになった。
Youtubeのおかげで、例えば、ゲームの攻略方法やテクニックの身につけ方が簡単に分かるようになった。
料理の作り方なんかも動画にされているから、割と高い精度でおいしいものは、素人の私にでも作れるようになった。

みんな一通り一定以上の情報は行き渡り、いわゆる人並み以上のことは、ある程度調べれば自分でできるようになった。

そうなると、他人との差別化はどのようにはかれるようになるのか。自分だけの持ち味というのはどのようにして見出せるのか。

ここで、ある方から面白いことを聞いた。どこで価値を見出すか。
それは

時間や歴史


であると。

たとえば、野球のバッティングだって、打ち方の理屈や効果的な練習方法は上記のようにして調べれば何通りも良い方法が出てくる。でも、本当にそれが自分のモノになるかどうかは、それをいかにやり続けることができるかどうかだ。そのこと自体をやることは、たぶん、誰にでもできるし、真似できる。しかし、技術の精度については、何度も何度も素振りをし続ける中でしか身につけることはできない。

数学のスマートな解き方はたぶん、どこか調べれば見つかる。だから、そのスマートな解き方自体は誰だって真似できるからそこで差別化をはかることはできなくなってきている。

つまり、圧倒的な素晴らしいとされるアイデア自体にはもう価値はない。アイデアが世に出された時点で、誰かの手に渡る。それが拡散されて、誰にでも真似できるようになる。

でも、たとえば体力は、鍛える時間を積み重ねることでしか身につけることはできない。そこにどれだけ時間をかけたかということで誰にも真似できない精度で体を動かすことができるようになる。それは見ればできるというものではなくなる。 だからこそ、そこに価値が生まれる。

これからは、きっと、そういうものに人は価値を見出す。

習慣だってそう。毎日、30分読書をするということを365日続けることができた人のみ習慣というものを身につけることができて、
それは、
「どうやって身につけることができるんですか?」
と聞いたところで、それに対するアドバイスはない。
要するに続けただけ。でも続けたという事実は不可逆なもので、続ける前と後とで、その人自身が変わってしまっているし、続けたという実績しか伝えることはできない。
でも続けることができた人にとっては、すでに習慣になってしまっているものでもあるから、大して難しいことでもないし、これからも続けることはできる。それが習慣というものだ。

だから、これから何もスタートしていない人がその人に追いつくためには、裏技的なものを駆使しても追いつけるものではなく、実行し、それを続けるという時間を費やさなければならないから、相当な価値があるということになる。

別に今に始まったことではないけど、裏技的なものは、一昔前なら手に入れることすら難しかったから、希少価値的なものがあったが、今は誰にでも手に入れることができるものは希少価値はどんどん薄れていっている。だから、まさに今、何かに夢中になって取り組んでいることがあれば、それをまずは続けることに、きっと将来的に価値が生まれるはずだから、やり通していけばいい。 その先に何らかの結果がどのようにして出るかは分からないが、少なくとも結果が出なくとも、やり通した事実はなくならないから、きっと価値が発生する。

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