「鬼太郎の町」、境港を歩く(米子をゆく・番外編)
1.境港へ
米子旅の際に、わたしは境港にも立ち寄った。境港は米子の北に接する市である。日本海に接する港町。なんとここからロシアのウラジオストック行きの船が出ているのだ。あと、なによりも、漫画家の故水木しげるさんの故郷としてよく知られ、現在はその作品である「ゲゲゲ鬼太郎」で町おこしがなされている。という情報をテレビで見たことがあった。ちなみにわたしはテレビっ子なのである。わたしは殊更に鬼太郎が好きなわけではなかったが、にぎわっているようだし、境港も訪れることとした。ミーハーでもあるのだ。
2.鬼太郎電車
境港までは電車で向かった。後藤駅から乗ったが、電車の仕様がもう鬼太郎でいっぱいであった。まず、各駅には本来の名前とともに、妖怪の愛称名が付けられるほどの徹底ぶり。たとえば、米子駅であれば、ねずみ男駅という具合に。駅に着くと、鬼太郎の声で「次は~ごとぉ~ごとぉ~です」で、めだまおやじが「愛称名は~~~じゃ」と説明してくれる。ただし、おやじの声が高すぎて、相当に注意して聞かないと、何を言っているのかがわからない。
乗客のなかに駅に停車するたびに駅名と愛称名とが併記された板の写真を撮りまくる若い女子がいた。他の乗客の目を気にすることなく、パシャパシャと。鬼太郎オタクってのもいるのだな。ちなみにぼくが好きな妖怪は、いったんもめんである。
3.鬼太郎ロード
境港駅(鬼太郎駅)についた。
駅を出たら、自画像版水木しげるさんが漫画を描いている銅像が現れる。側にあるの街灯は目玉のおやじになっていた。かわいい。ちなみに奥に見えるのがわたしが乗ってきた鬼太郎仕様の電車である。町おこしが本格的である。
そこから、鬼太郎ロードと呼ばれる通りを歩いてもっと驚いた。昔は鬼太郎関係の仕事をしていなかったと思われる店が鬼太郎グッズを売っている。
鬼太郎に出てくると思われるなんらかのキャラの着ぐるみが客寄せをしているが、だれも寄ってこない。なんだか「立ち尽くしている」感じがいい。哀愁。
パン屋も鬼太郎(上段右から二番目以外はわかる。こなきじじいかな?上段左のぬりかべはトトロの赤ちゃんにもみえる。かわいい。)
床屋まで鬼太郎である(ハサミと櫛をもって襲ってくる)。
総力戦。一億総鬼太郎。この町は妖怪に支配されてしまったということか。
鬼太郎の町とすることで観光客が増えているのも事実であろう。海外の観光客もいた。戦略としては完全にうまくいっているのだと思う。わたしもこうして来ているわけで。
鬼太郎グッズの店と店の間に、突然硬派な電気屋が現れた。おれは日和らない、おれはおれの道をいくんだよ、という気概が見られる。わたしとしては、この昭和の香りがするたたずまいは大好きである。「~ラジオ・カセッター・」
こちらは呉服屋さん。本業でがんばっているが、しれっと鬼太郎ガイドブックの宣伝をしている。
このように細かく見ていると、鬼太郎ロード以前のこの道の像が少しだけ見えてくる。この町はもともとなにがあったのであろうか
4.鬼太郎ロードの向こう側
ロードを抜けると、そこは別世界。ここに妖怪はいない、人間の世界。
人が見られなくなった。閑散とした商店街である。
そこには商店街理想の絵が飾られていた。これはかつての商店街の姿なのか、理想の姿なのか。知るよしもない。なんだか、ノスタルジックだ。ただ、この絵と現実との差になんともいえない気持ちとなった。
道を歩くと、道の脇にかわいいカニのオブジェを見た。名前は「かにぎょちゃん」。手にはネギをもっている。子どもがつくったのかな。その先にも、おさかな系のオブジェが等間隔でおかれている。これが本来の境港の姿なのだ。そうだ、ここは漁師町だ。わたしは妖怪に化かされていたのだ。
ぼくはそこそこの距離を歩いて、海とくらしの史料館に向かった。駅から数えて約2キロ。ここはまさに境港の漁港としての歴史を学べるところで、大変勉強になった。水木しげるさんはこういうところで育ったのか。
帰りは、中海と日本海とをつなぐ海峡に沿って、歩いて駅まで向かった。大きな船が何隻もある。ここはやはり漁港だ。魚市場はどこにあるのか。いまはどれほどの漁獲あるのか。
境港から米子方面に向けて電車で戻る。境港だけで往復4キロにすぎないが、時間が限られているなかでの早歩き旅で疲れたが、いい旅であった。そして、やはりめだまは何を言うているかわからない。
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