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4月を振り返って(バイトを辞めた話)

書こう、書こうって思いながら何もやりたくない日々が続いています。
それでも5月に突入してしまったので何とか無理やり書こうとしてる最中です。(自分の記録のためにも!)

3月の終わりに近場で割と条件にハマったバイトを見つけました。
面接も無事に受けて、合格をもらい数日後初出勤しました。
仕事内容はかなり自分好みでこのまま続けれたらいいなって思ってたんです。
ただ、少人数の小さな会社で従業員さんの陰口がひどくて、初日から受け入れてもらえる感じがなくてすごく不安でした。

でも頑張ればきっと違うはずって言い聞かせて一週間を乗り越え、
二週間目もそうやって過ごしました。
バイトが始まってから食欲不振になってしまい全然ご飯が食べれなくて、
ポカリとゼリーで何とか乗り切っていましが、三週間目に仕事場で作業してる最中に失神してしまいました。
なんかその時もあんまり思い出せないのですが、
何人かの従業員の人たちが笑ってこっちを見てて本当に怖かったです。
それで失神で頭を強く打ってしまったみたいで気持ち悪くなり、
社長に早退をお願いして、最初はすごく迷惑そうにしぶられてましたが、
顔色がだんだん悪くなってくれたおかげで何とか早退させていただき病院へ行く事ができました。

診断は脳震とうを起こしてしまって、貧血もすごかったので4日間入院することになってしまいました!
(バイト開始から6キロほど体重も落ちてしまってました…もともと太ってたからよかった)

この時点で体の限界と気持ちも辞めることを決意しました。

すぐに会社に連絡して明日の出勤は入院で出来ないことと、今までの経緯と今日付で辞めることをお話ししました。

相手が慌ててるのを感じて、すごく罪悪感を感じたけど、
もう退院後にあそこで働きたくはないって気持ちが勝ってくれたので
退職手続きを押し進めることが出来ました!
(かなり引き留められてました、夜中に電話来たり怖かった・・・)

入院中は久しぶりに落ち着いた日常を過ごせて、
看護師も担当医の先生もすごく優しくて気持ちが楽になりました。

脳の方も異常はなくて、打った時にできたたん瘤も時期に落ち着くという診断になり退院の許可が出ました。

ご飯も無事食べれて、お米とお味噌汁がじんわりと体に染みわたったのが幸せでした。

退院後はバイトも辞め、再度無職のスタート地点に振り出しに。
悲しかったけど、体壊しちゃ意味ない。

でも無気力感がすごくて、何も楽しくないし、日々の暮らしが不安で
なぜか毎日意味もなく苦しい感じでした。

2月に本当は行くはずだった心療内科。
大雪の日に予約が重なってバスが運休になりキャンセルして行かなかったんですが、ちょうど4月の終わりにキャンセル待ちの空きが出て受診することになったんです。

高校生の頃の不安があって(心療内科が合わなくて嫌な思いをしたトラウマがあります)中々足が向かなかったんですが、先生も看護師さんも穏やかですごくホッとしました。

その際に血液検査をすることになったのですが、
その時看護師さんが
「ここ、痛かったね」
と話しかけてくれたんです。
私は最初何が痛いのかわからなくて、注射のことかな?と
少しだけ笑って返したんです。
でも、看護師さんが見てる視線を追ったら
私の手首にある傷を見てることに気がついたんです。

だいぶ前、まだ10代の頃に切った傷でした。
薄いけど、幾つも思い出のようにケロイドが残っています。
今までその傷に触れた人はいなかったから、
「痛かったね」って言葉がすごく心に残りました。

あの頃の私が聞いたら泣いてたかもしれないって。

それでお薬や診断をいただきました。
その話はまた今度しますね。

実はバイトをしてる時期にオーストラリアに住む従兄弟が会いに来てくれてました。従兄弟は日本語よりも英語が得意になっちゃって、私の拙い英語とですごくおかしな会話をするから本当におかしくって。
ただ今回はバイトが入ってて、結局私の家族は会って食事もしたんですけど、私は従兄弟に会えなかったんです。
すごく悲しかった。だけど会えないからって私にだけいっぱいお土産置いてってくれて、本当に心があったかくなりました。

結局4月は終始ドタバタして、体調もガタガタでしたが、新しい自分の発見もありました。
あっ、桜を見にお弁当持ってお花見も行きました〜

まだ無気力だし、不安な気持ちもあるので、
5月はゆっくりしながらまた何か始めていければいいなって思います。


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不登校や自殺未遂を経て現在ワーホリを目標に人生の困難に挑戦しています。 もしよければ目標達成のサポートお願いします。