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梅雨休み 吊るすぞ燻(いぶ)すぞ ハムになれ

それまでの雨や霧が嘘のように晴れ渡った梅雨休みの午後4時。

かねてからピチットで乾燥させ、手製のソミュール液に漬け込んでおいた豚肉のカタマリを・・・

ハムにするぞ!

燻製用の容器に肉を吊るします。

ハム

床に置いたパンに燻製用のチップを置き、

火をつけ、

容器を閉じ、

後は容器内の温度を見ながらひたすら待ちます。

温度計

ベランダを吹く風。

待つ間、大城立裕さんの新著『焼け跡の高校教師』を読みます。

沖縄の中城村で育ち、

進学した上海で終戦を迎え、

親族を頼っていったん熊本で生活していた著者は、

沖縄に引き揚げた後、

米軍雇いの仕事をしますが、

高給取りのポジションを捨てて(その理由に共感します)、

薄給の高校教師として

開校したばかりの野嵩高校(現普天間高校)で2年間奉職します。


詳しくはぜひお読みいただきたいのですが、

県民の4人に1人が落命したと言われる沖縄の戦争、

生き延びた者たちも身体や心に傷を負っての再出発だったはずです。

それでもこの作品の底抜けの明るさといったらありません。

戦争を経験したいとは決して思いませんが、

大城先生に教えを受ける生徒たちがうらやましくなります。

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そこで思い浮かべたのが我が老母のことです。

彼女は、沖縄の小さな離島に生まれ、

地上戦こそありませんでしたが、

艦載機による空襲は度々経験しています。

戦争が終わり、一家で藪に作った簡易な住宅と防空壕から出た時、

彼女は小学校6年生でした。

それから中学生になりますが、

ほとんど授業らしい授業の記憶がありません。

経済的に苦しい親を助けて働くうちに青春が過ぎてしまい。

今でも教育を受けていないことを悔やんでいます。

老母が愚痴を言う度に私はたしなめてきました。

教育を受けていなくとも、

ちゃんと本が読めているんだし、

詩が好きならば、

遠慮せずに書けばよい。

教育がないから詩も書けない、というのは

やらないことのいいわけだよ、と。


でも、大城先生のこの作品を読んで

ああ、そういうことか、と思い当たりました。

反省しました。

母が得なかったのは教育というよりも

『焼け跡の高校教師』に登場する高校生たちの送った

青春なんだと。

昭和8年(1933年)生まれの母は、

作品に登場する生徒たちとほぼ同年代です。

そう考えると、

母に彼らの青春を送らせてあげたかった。

たとえそれが作品中の章題にある「荒野の青春」でも。

何だか母があわれに思えてきたんです。


ハムは上手くできたようです。

『焼け跡の高校教師』はまた読み返しました。


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