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日々よしなしごと~美意識が大事って?~

この梅干しきれいでしょ? 
以前は自分で何度か作っていた梅干し。この梅干しに出会ってから自分が作るより美しくて何より美味しいので作るの止めました 笑
先日のみの市に行ったら売っていて無事にゲット。つなぎに買った梅干しが早くなくならないかと思ってしまう。梅干し選びも美意識が大事・・・なんてことじゃないので念のため 笑



山口周さんというビジネス書などを書いておられて、いろんな経済番組などにも出演されてる方、この方のお話がいつも面白くて、なるほどなあと感心して聞いていた。著書の『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?~経営における「アート」と「サイエンス」』というのが気になった。

ビジネスに美意識、アートというのがとても新しい感覚だな、どういう事だろう?と思って読んでみることにした。

「アート」と「サイエンス」とは、言ってみれば「直観」と「論理」・「スキル」という意味。なぜアート=直観が必要なのか。
今の世の中、不安定で、不確実で、複雑で、曖昧(これをVUCAというらしい。意味は調べてね)に満ちていて、サイエンス=論理を突き詰めてもスキルが高くても、なかなか成長しにくくなっている。一方で思いがけない発想で大きく成功している企業もある。そのような企業のトップは論理を超越した鋭い直観力を持っている・・・
簡単に言うとそういうことのようだ。そして直観力は「アート」に触れることで、自らの美意識を高め、感性を磨くと言ってもいい。それが経営者として高度な判断に必要な直観を養うことになるのだと。だからこそ、世界を席巻しているIT系の会社の若き経営者含め、世界のトップ企業の経営者はアートを愛し、哲学も学んでいると。

翻って日本の経営者、特にスタートアップの若い経営者ほど、データやマーケティングなどのサイエンスや論理のみを重視する傾向があり、企業の伸びもある一定以上の成長はしてもそこから異次元への突破ができないのではないか(例えばスティーブ・ジョブスのように?)・・・と分析する。
(かなり端折っているので、ぜひ興味のある方は本を読んでくださいね)
この辺りは、そうなのか・・・と思うだけなのだが、美意識を持つことで直観が養われるというのは、私もうなづけることだった。

ここから一転して茶の湯について。

茶の湯というものが成立したのは約500年前で千利休が完成させたのはご存じだと思う。利休が活躍する少し前にもお茶は当時の武士の間で流行っていた(という下世話な表現ですみません)
明日の命さえ危うい戦国時代に生きる武士たちは、戦の合間に茶会を催し茶を喫し、茶道具を愛でることでひとときの安らぎを得た。
だからこそ、いい茶道具は当時の武士たちの非日常の喜びをもたらす大事な宝物になった(のだと思う)
例えば茶入と言われる、抹茶を入れる小さな蓋つきの陶器の壺や、茶釜や茶碗は当時は唐物という中国からの渡来物で大変貴重なものだった。
信長が戦功あった武将に、褒美に国一国ではなく茶入を与えたというエピソードもご存じかもしれないが、まさに茶道具が一国と同等の価値を持った時代。

また、明治、大正、昭和にかけて近代日本を作って来た経済人も茶の湯を楽しむ茶人が多かった。
筆頭は三井物産の創始者で近代の大茶人と言われる益田鈍翁はじめ、東京電力の前身東京電燈株式会社の創始者松永耳庵、日産自動車の本多静六、キリンビールの早川雪州、絹貿易業で富豪の原三渓など、茶人としても名を馳せた人たちだ。
彼らが作った茶室や持っていた道具などは、今でも名品としてリスペクトされている。

なぜこのような、激動の時代に世の中を大きく動かした人たちが、こぞって茶の湯を楽しみ、茶道具に魅せられたのだろう?
近代草創期も西欧に追いつき新しい日本を作るべく奔走し、戦国時代とは違う意味で毎日が戦いだったはずだ。その合間に茶を喫し、道具を愛でる・・

時代の開拓者でのもあったこの人たちは、今まで見たこともない未来を作るためには、これまでの経験や知識などだけでは足りないことを理解し、先に進むには「直観」しかないと知っていたのではないだろうか。そのためにも茶の湯を通し、美意識を高め、いいもの悪いもの、本物と偽物を見極める力を磨くことで、感性を研ぎ澄まし直観力を養う・・・それこそこのような直観があったのかもしれない。

茶道具はそもそも中国より伝来した古いものが、茶の湯の歴史とともに長い年月伝えられてきたものが多い。その中にはいいものもよくないものあって、いいものは当然偽物も作られた。真贋を含めて本物を見極める力を養うには、たくさんのものを鑑賞するしかなかっただろう。そうやって美意識を研ぎ澄ましてきた。

また、茶の湯は「茶禅一味」と言われるように「禅」ととても近い。茶会には必ずと言っていいほど禅僧が招かれたり招いたりした。そこでは当然仏教や禅の話や解釈などの話題と議論もあったのではないか。
戦国武士たちも、自身の人生を禅を通じて考えることもあったのではないか。つまり東洋哲学を身をもって学んでいたのかもしれない。
茶の湯は総合芸術、と言われるように茶人は和歌や能、書にも通じているのが当たり前だったので、当然それらの教養もあったんだろうね。

つまり、日本人もかつては山口周さんが説かれるような「美意識」や「哲学」を茶の湯を通して磨き、学んできたんじゃないか・・・

少し前までは、一代で会社を立ち上げ、功成り名を成した社長さんは、だいたい茶室を作ると聞いた。今はどうか知らないけど。
それもやっぱり、茶の湯を嗜むことは単に社交という意味だけではなく、経営者が持つべき知識やスキル以外に持つべき美意識や直観など含めた人間力を養う修行とみていたのかも・・・

な~んてことを考えてみたけど、自分がお茶をやっているからこんなことを考えてしまうのだが、あくまで私個人のシロート考えなのでまるで見当違いかもしれないので、すみません・・・

イヤイヤ案外そういうことだったんじゃないかなぁ・・・・ボソボソ

まあとにかく、これからのビジネスマンこそアートに親しんで欲しいなあ
お茶を習うというのもさらに感性を磨くにはいいと思うんだけどなあ~~

はい。これが一番言いたかったことです!





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