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自然て優しい

小さい頃、時々山に登っていた。
3歳、通っていた保育園で登山デビュー、その後も遠足で毎年山に登り、卒園遠足は雪の金剛山。卒園アルバムには顔面雪まみれで号泣する写真が収められている。
当時は「もっと可愛い写真載せてーな!」と思っていたけど、今でも山での光景はよく覚えている。

小学生になり、山とはおさらばか!?と思いきや、通っていた学童の先生が無類の山好き。
その影響で高学年になると年2回ぐらい金剛登山。そのうち1回は雪の季節。
寒さがすこぶる苦手な私やったけど、樹氷や雪が風に飛ばされてキラキラしている光景は本当に好きだった。
登る度にコースは違って、ある年には二上山〜葛城山〜金剛山という果てしなく続くコースを歩いた事もある。
どの登山の時も、登山前には先生からコースや持ち物の説明がある。さらには1人で行動したらアカンとか、ゴミは持ち帰るとか、山は楽しいけど怖いんやでとか、なにか『心構え』のような話もあった。
先生が真剣な顔で話すので、何となく神妙な気持ちで聞いていた記憶がある。

保育園の時も学童の時も、それらのイベントには先生達だけではなく、保護者が何人も参加していた。
保護者の顔ぶれは大抵決まっていて、そのうちの1人が我が父。
父はいっつも変な格好して来るので、子どもとしてはあまり好ましい気持ちではなかったけれど…。当時の事は父と語り合えるちょっと少ない思い出の中で、まぁまぁな部分を占めている。

月日は流れ、その後の私はまぁ山とは無縁の生活を送り続けた。
虫をみたくないと地面から離れた所に住み、面倒だからと歩いて5分の距離も車で移動。
植物なんぞ、自分の手を煩わせるだけで面倒なものだと思っていたし、景色を止まって見る余裕もないほどに猛スピードで毎日が過ぎていった。

そんな日々が終わりを告げたのは数年前。
ひょんなきっかけとその後に起こった出来事に押される形で、人生の予定にはなかった家を購入する事に。
何件も家を見て回ったけど、購入した家は入った瞬間に私はここに住むのだと確信した。
長年地面から離れていた私が着地を決めた瞬間だった。
小さな庭をほじくり回し、植物を植えたり、周りの景色を見たり。
外で過ごす時間が増えて、自分の中に季節が戻って来た気がした。
さらには音や匂い、色や光に気持ちが動くような感覚が自分にもあったのだとひとしれず感動。今では自分の周りがそれらのもので溢れている事が本当にありがたいと感じる。

ここ数日、普段はほとんど付いていないテレビで、子どもがyoutubeやアニメを見ている。
機械から出る音は凄く刺激が強いのだと分かる。
これまで当たり前に感じていた感覚にノイズが入るような不快感と、何か繋がりが切れそうになる不安感のようなもの。
着地前の私は見ていなくてもテレビをつけていた。音がないのが不安だったから。ずっと刺激が必要だったというか、止まったら終わり、そんな感覚。でも今は逆。
自然にあるものを感じられない方が私にとっては心許ない。
日々、少しずつ感覚を手繰り寄せて喜びを感じて来た私にとって、途切れる時間が長いのはツライ。意識がそっちに引っ張られる。

このしんどさ、何とかならんかなと、本棚へ。
以前から本棚にあった石牟礼道子さんの『水はみどろの宮』が目についた。
数年前、『苦海浄土』を読んだ時に感じた、なんというか境目、のような感覚。どすんとしていて、心のもっと奥が震えるような、そんな感覚。読み終えた後、他の作品も読んでみたくて数冊買ったものの、読まずにそれっきりになっていた。さて、今の弱った私に石牟礼道子さんの作品が読めるだろうか…あとがきにはもともとは児童文学の雑誌に書いたものだとある。読んでみよ。
山の精が出てくるお話で、読んでいるうちに山に呼ばれている気がした。私は単純、いやきっと素直なのである。
…そうだ、二上山へ行こう。

その3日後、私は家族とともに山の麓にいた。
登山口で学童の先生のお話が浮かび、自然と「今から山に入らせてもらいます。お邪魔します。」
ご挨拶して手を合わせる。山は威厳に満ちている。
山へ足を踏み入れる。
一瞬で五感全開放。
のんびり登って、小一時間で雌岳山頂。
山頂近くでお弁当食べて、ちょっと下手くそな鶯の鳴き声にほっこり。
カエルの鳴き声デカい。風が気持ちいい。山の匂い。水の音、風の音、肌の感覚…全部が優しい。
子どもの頃、山で全身に浴びていたものを再び浴び、山を下りる。
登山口で「お陰様で無事に下りてきました。ありがとうございます。お邪魔しました。」
再び手を合わせてご挨拶。学童の先生が言うてたんはこういうことやったんちゃうやろか。

その昔、日本人は自然と会話できたといわれているけど、これはほんまにそうちゃうかなと思う。
やっぱりなんか感じるもんあるし、めっちゃ元気なってるし。
普段は庭や家の周りだけでも大丈夫やけど、色々
なもんが溜まってきて、なんや狂ってた感覚も山で調整されたって感じがした。
表現見つからんけど、自然て大事と思う。ほんまはずっと昔から一緒におって、色んなもんもらって来たってことを忘れたらアカンねやと思う。

自然に感謝。
それから、子どもの頃に色んな体験させてくれた大人と目には見えへんけどずっとおってくれた存在に感謝。















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