見出し画像

生活のコマンド


自転車で毎日お店まで出掛けています。

ルートは特に決めていないのですが、信号が進める方へ向かうと、いつも大体同じ道を通ることになる。
それは信号のルールなのだろうと思いつつも、わたしはこの自分で見つけた法則を楽しんで自転車を走らせている。

例えば、「この時間に行くとこの人気店は空いている」とか、「雨の日にこの道を通ると蛙がいがち」とか、「このドレッシングにこれを混ぜると美味しくなる」とか「魚屋のお兄さんに魚のこと話しかけると止まらない」とかそういうことも、自分が見つけ出す日々の法則。

それをわたしは「生活のコマンド」と呼んでいる。

先日知人が、「写真を始めた若者」の話をしてくれた。
「教室に行って先生のおすすめをやってみる」というその人に、
「まずは自分で撮ったり観たりしてみたら?」と言うが、いやまずは先生の言うとおりに学ぶことがやりたいと。

ゲームなどにおける「プログラム上のコマンド」は「A+B」のような形で設定され、それを使うと同じ結果を得ることができる。それが眠くて押した「A+B」でも、勢いよく押した「A+B」でも、熱くなって押した「A+B」でも、変わらず同じ結果を返してくれる。
では生活はどうなのだろうか?

答えや正解があると思ってしまった時、人は攻略本のコマンド「A+B」を知りたいと思ってしまいがちだと思う。
写真を観たり撮るより、コーヒーをいれて観察するより、教科書を見てそこからものさしを作ってしまう。
(わたしも昔はそうやってコーヒーの勉強をしていたなぁ)

でもなにかをやる時、作る時に学ぶべきことって「コマンドそのもの」ではなく、「コマンドの作り方」「コマンドの捉え方」なんじゃないかと思う。
「A+B」のコマンドはこの世界にはありません。

つまりコーヒーを日常でいれる時に大切なことは、そこで起きることを見て感じて(時に計って)、味わいとなったその時に自分がどう感じるかを捉えることだと思う。
写真をやりたい人は、カメラを触って触って触ったあとになにが起きてどう感じるかを捉えることだと思う。

Aがなにで、Bがなにで、Cがなにかをつぶさに捉えてコマンドにすること。

教科書を見ていていつもの道端に目を向けていなければ、そこにいつも同じ猫がいることにも気づかないし、春になって咲く花にも気づかないと思うのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?