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創作や発信でどう思われるか気にならなくなった話

あまりにもスピリチュアルっぽいので身内にしか言っていなかったんだけど、今日突然「漫画で描いてみよう」と思った話。

最近、自分でも分かるくらい創作活動がどんどん活発になっているんですよね。
たぶんこういう考え方(イメージ?)が定着したからだと思います。
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「外っかわにネタの泉がある」というのは、もちろん他人からネタをパクっているという意味ではありません(笑)。

たぶんユング心理学で言うところの「普遍的無意識」に近いんじゃないかなあ、と思います。

普遍的無意識とは、個人の思い出や経験を超えた、「全人類共通の心や思い出」のことです。私たちが「見たこともない、体験したこともないのに何故か知っている(夢などに見る)ことがある」時は、この普遍的無意識にアクセスしている時だ……的なことをユングは説きました。

私はわかりやすくざっくりと説明しているだけなので、ちゃんと知りたい方はユング心理学の本を買ってください。

私が言っている「ネタの泉」は、銀河のイメージです。
誰か人間の力で作られたものではなく、宇宙のような無意識の中でこんこんと湧き出続けるようなイメージ。

私はこれを普段は「創造のエネルギー」と呼びます。(ネタの泉、のほうが分かりやすそうだったので漫画ではそのように呼びましたが)

これは私が自分の力で創っているのではなく、勝手にその辺の宇宙で湧き上がり続けているので、「ネタ切れ」は存在しません。
私は自分の創作をするとき、そこに接続するだけです。
そうすると勝手に色々なイメージが流れてくるので、それを物語としてまとめるんですね。

問題は、あまりその泉の通りに描いていると、たまにつじつまが合わなくなることです。キャラクターの喋りが突然変わったり、「そこでそのキャラはそんなことせんやろ」みたいなネタになることもある。

私はとりあえず描くしかできないので、今の所は友人たちに読んでもらって「おかしいところ」を指摘してもらいます。
(もちろん自分でおかしいところに気づけることもあるけど、大抵は気づけない)

こんな話をしていると「めちゃめちゃスピリチュアルな人」と思われるかもしれませんが、私は「スピリチュアルはあってもいいと思っているけど、傾倒しすぎるのは嫌い」な人です。

基本的に理論で攻めていくし、ふんわりした表現は苦手です。
地に足がついた状態が好きですしおすし。

でも創作とかアートってそもそも「言葉や理論で説明できない世界」なので、創作活動をやっている間だけは多少スピリチュアル要素が強めでもいいのかな、という気がしてきました。最近は。

実際、私は自分の作品に対して「あれおかしいだろ」的なことを言われたり、今までファンだった人が離れたとしても何にも思わなくなりました。
だって私が自分の頭をひねりあげて表現している物語ではないから。

昔は「人になんて言われるか」をめちゃめちゃ気にしていたんですよ。
だから、何も描けなくなるか、描けてもめちゃくちゃ狭いアンダーグラウンドの世界で描いていました。表に出るのが怖かったのです。

しかし今は「そう描けと言われたのでそう描いている」みたいな感覚なので、何か言われたとしても「はあ、そうすか、でもこう描けって言われちまったんでねえ」みたいな感じなのです。

別に私のように「創造のエネルギー」とかスピリチュアルなことを言わなくても、「自分の意思で創り上げた作品ではない」と思うのはかなり心が楽になる創作の仕方じゃないか、と考えています。

自分の中から絞り出すネタなんて本当にたかがしれていますしね。
「個人の記憶や体験」には限りがあるから。

何だかわからないけど、自分の「外」に何か泉があって、そこの水をお借りしているだけ、と思ったら、いちいち他人の言うことなんて気にせずに創作が出来るようになるんじゃないすかねえ。知らんけど。

それではごきげんよう、さようなら。

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