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境界性パーソナリティ障害を「治したくない」という相手のNOを、ちゃんと受け入れていますか?

境界性パーソナリティ障害関連のご相談を受けていると、「本人に病気を治したいと思って欲しい」「治療に向けて動いて欲しい」というお声をよく伺います。

もちろんその人への愛情ゆえにそう思っているわけですが、「治したくない」という相手のNOをちゃんと受け入れていますか? というのが今日のテーマです。

というわけで境界性パーソナリティ障害を自力で克服した漫画家カウンセラー、巴です。

noteやらメルマガやらのおかげで「こいつはエセ克服当事者じゃないようだ……!」と信頼を受けているらしく、日々境界性パーソナリティ障害に関するご相談が後をたちません。あざーっす!

※「境界性パーソナリティ障害って詳しくはどういう病気?」「どうやって克服したの?」という方は下記の記事をご参照ください。

私は基本
・他人は変えられない
・本人に治す意志があってこそ、境界性パーソナリティ障害は克服できる

と思っている人間です。
しかしそれでも

「自分にできることはないのでしょうか」

というご質問やご相談が後を絶たないので、
"本人が「この人のために治したい」と思える"ような、周囲の対応や対策はないのだろうか? と日々模索中です。

そんな中でふわりと思い浮かんだのが、
「今のその人を理解し、受け入れること」
「相手のNOを受け入れること」

だったんですよね。

なぜ長年その病気(精神状態)のままでいるのか

境界性パーソナリティ障害の診断基準には、下記のような注釈があります。

「その症状が青年期・成人期早期までに
始まっている必要がある。
また、その症状が現在も続いている
場合に診断を下される」

※詳しくはこちらで↓

なので基本、境界性パーソナリティ障害と診断されたかた(または、その傾向があるかた)は「長年ずっとその状態でいる」ことがほとんどです。

私自身も10歳頃にそれらしき症状は出始めましたが、ハッキリ診断を受けたのは30歳の時でした。
34歳で寛解した(症状がほぼ出なくなった)ので、24年間その状態で苦しんでいたことになります。

症状がひどい時は、なぜ自分がそんな精神状態でいるのか、なぜ母や恋人にばかり八つ当たりしてしまうのか、まったく分かりませんでした。

けれど今思えば、私が長年境界性パーソナリティ障害の状態でいたのは、「その病気(精神状態)を必要としていたから」と考えられます。

私が病気を必要としていた理由

自分の病気を治すために人間心理を猛勉強し、寛解した後に気づいた「私が長年病気を必要としていた理由」は、以下の通りです。

◎病気でいることで、母親の注目を引くことができた。
(本当は幼い頃、めいっぱい自分を愛して欲しかった、自分だけに注目して欲しかったから、それを取り戻したかった)

◎人に嫌われたくない・人を喜ばせたいという気持ちが強すぎて我慢してしまう自分のストレスを解消できた。
(病気によって起こる怒りを使うことで、それが可能だった)

◎「うまくいかなければ、死ねばいい」という思いのおかげで、将来の不安から逃げ出せた。

◎「私は精神病だからできなくても仕方ない」と思っていれば、本当にやりたいことへ挑戦する恐怖から逃れられた。
(大好きな絵や漫画の世界は、大好きすぎて、失敗はもちろん成功するのも怖かった)

◎精神病でいれば、健康なみんなと同じように普通の大人(社会人)として生活しなくても済んだ。
(大人や社会人に対する理想が高すぎて、今更「ちゃんと社会人として生きる」をやらなくてはいけないのが怖かった)

◎精神病の「怒り」を使えば、普段つい我慢してしまう恋人に対して、言いたいことが全部言えた。
(実際は本音を隠しているけど、当時の自分としては、ふだん言えなくて我慢していることを全部言える気になっていた)

……私の場合はこんな感じですが(他にもあったと思う)、長年のあいだ境界性パーソナリティ障害の状態で苦しんでいる人は、各々「その病を手放せない、今さら手放すのが怖い」理由があるはずです。

要約すると「今は治したくない(怖いから)」ということです。

愛することと善意を押し付けることは違う

境界性パーソナリティ障害当事者の周囲にいる人(家族・恋人・伴侶・友人など)のほとんどが、8割がた口にする文言があります。

「治したほうが本人のためになるから、治す方向に持って行かせたい」
「早く病気を治して、楽で穏やかな気持ちになって欲しい」

もちろんこれは愛情からくる言葉です。
しかし、「その人を愛すること」と「その人に善意を押し付けること」はまったく違うんですよね。

私は上記の言葉は(言っている方々にはすみませんが)、「善意(正しさ)の押し付け」だと考えています。

なぜなら、彼(彼女)らの「治したくない(治すのが怖い)」という心を、まったく受け入れようとしていないから。

長年その状態でいる理由や、恐怖や不安などの感情を受け入れず、「そうしたほうがあの人のためだから」などと言って治療を強要しようとするのは、愛情というよりも善意(正しさ)の押し付けです。

だから当事者さんに
「愛情や心配で言っているんじゃなくて、私のこの困った症状が治れば自分にとって都合がいいから、それで言っているんだろう」
と思われてしまうのです。

(実際にそれを口に出す人もいるし、口に出さずに思っている人もいます)

もちろん中には、「いや、本人は治したいと言っているんです」というかたもいらっしゃるでしょう。

そんなもの私だって「治したい治したい」「こんな弱い自分は嫌だからもっと強くなりたい」と何百回も言っていました。

けれど私は、病気のおかげで避けられている恐怖に真正面から向き合うのを、病気のおかげで得られている長年の恩恵を、今さら手放すのを本当は怖がっていました。

病気を治したら、今までの自分と全く違う自分になってしまうと思っていました。
それを誰よりも望んでいるはずだったのに、同時に私は、今までの自分と全く違う自分に変わってしまうのが死ぬほど怖かったのです。

「治したくないという相手のNOを受け入れる」とは、不安や恐怖に震えているその人の感情を丸ごと受け止め、包み込んであげるということです。

「今はできない」相手を受け入れ、その人の力を信じる

境界性パーソナリティ障害(かもしれない)当事者さんは、魅力的で何かの能力に突出しているかたばかりです。
しかし、本人は全くそのことに気づいていません。

だからその膨大なエネルギーの使い方を間違えて、エネルギーの渦に飲み込まれて溺れ苦しんでいるのです。

周囲の人が「治させてあげたい!」と思うのも、そのせいかもしれませんね。

ちなみに私も病気全盛期の時に、親しい友人から「私があなただったら、その能力を有効活用するのに! もったいない!」と言われていました。

(いま心理カウンセラーをしている私は、さまざまな魅力的な相談者さんを見て「何でそのエネルギーをそんなことに使っとるんや! もったいない!」と思う側に立っています)

しかしですね、「相手のNOを受け入れる」と同じで、「今のその人にはそれができない」ことも受け入れる必要があります。

いずれは出来るようになるだろう、と相手を信頼したうえで、「今のこの人にはできないのだ」ということを受け入れるんですね。

「私が何かアクションしてあげないと、この子は一生このままだわ!」と思うのも、
「僕がうまく対応してあげないと、彼女はこの状態から立ち直れない!」と思うのも、相手のことを全く信頼していません。

その人が「自分で自分を立ち直らせ、自分の足で立つ力を持っている」と信じられていないのです。

そして境界性パーソナリティ障害(らしき)当事者さんは、それを「見下されている」と敏感に察知します。
「私が○○してあげなきゃダメになる」というのを、愛ではなく、「バカにしている」と歪んで受け取ります。

だから必死で頑張ってサポートしようとしているあなたの言うことを、1mmも聞かないのです。

少し想像してみてください。
あなたはこれまで出会った中で、「この人、私をバカにしてるな〜」と感じた人っていますか?
いない場合は、そういう人がいると仮定してくださいね。

その人の言うことって素直に聞けますか?
どんなに正論だとしてもモヤモヤしませんか?
正論だからこそなんか気に障(さわ)る、って時もあるでしょうし。

いやいや、「この人にはどーせできない」と思うことこそ、相手をバカにしているでしょう!
と思うかたもいらっしゃるかもしれません。

誤解してほしくないのは、できないのは「今現在のこの人」だけ、ということです。
「どーせできない」って、未来永劫努力しても一人じゃ絶対にできない感を含むじゃないですか。

今、目の前にいるその人(の状態)を、ただ受け入れる……それが最も重要なんですね。

だって本人さんは、「できない自分」をずっとずっと否定して責めて傷つけ続けているのですから。
本人が許せない「できない自分」を、あなたが包み込んで許すんです。

私は確かに「自分で病気を治そう!」と一念発起しました。それが大きな力だったと今でも思っています。

しかしそれを促進させたのは、一番身近にいたパートナーが「あなたはそういう所があるけど、いいじゃない」とダメな私を受け入れてくれたお陰です。

などという話をすると、「表向き何でも受け入れているふりをして、心は我慢ばっかり」というサポートをしてしまう人をしばしば見かけます。

私のパートナーは、本当に何も我慢していませんでした。
平気じゃないことは、ちゃんと「嫌だ」と言っていました。
自然に生きて、本当に私のする色々な迷惑を「そのくらいのこと平気だよ」「大丈夫だよ」と受け入れてくれました。

自分に無理をさせて我慢しないと「今のその人」を受け入れられないのならば、あなたは境界性パーソナリティ障害治療のサポーターをすることはできません。

私はなるべく断言しないようにしていますが、こればかりは断言します。

それはあなたの能力が低いからではなく、単純に「相性の問題」です。
世の中には何でも相性があり、どうしても相性が悪い場合は、どんな努力も忍耐も結果に結びつきません。
離れてあげるほうがむしろ相手のためになる場合もあります。

肉親だから離れたくても離れられないのです、というかたは、「我慢しなくても今のその人を受け入れられる状態」「嫌なことは嫌だとはっきり言える状態」へ自分が変化するしかありません。

なぜ我慢してしまうのでしょう。なぜ今目の前にいるその人を受け止められないのでしょう。
自分は今のままで、相手が変わってくれることのほうを期待してしまうのはなぜでしょう?

私のカウンセリングでは、常に「周囲(サポート)の人も、当事者治療の時と同じく、自分自身に向き合ってもらう」を実践しています。

変わらないその人を無理やり変えようとすると不幸になる一方ですし、相手を変えるより自分が変わったほうが早いからです(もちろんある程度の心の痛みは伴いますが)。

「できる」自分と「できない」相手の違いを受け入れる

境界性パーソナリティ障害当事者の周囲にいる人で、私の元へ相談しに来るかたがたには、もうひとつ共通点があります。

それは、当事者さんと同じく、その人にも特出した能力があるということ。

「いやいや、私には何の才能もないですよ」
と、これを読んでいるどのくらいのかたが思ったでしょうか。

そう思っている人こそ、何らかの能力があります。
当事者さんと同じく、自分で気づいていないだけなのです。

そして、自分が持っている特出した能力を認めて受け入れることこそが、当事者治療の助けになる場合があります。

たとえば、境界性パーソナリティ障害について知るために、尋常じゃないほどサイトや本などを調べて学習した人。

多くの人にはできないほどの努力ができる能力、自分が気になることに関して卓越した学習能力(意欲)を持っています。

中には自分自身にも精神的な悩みがあり、心理学を学んだり、誰かに相談したり、病院に通ったり、必死で自分と向き合ってその苦しみに耐え、乗り越えた人もいます。

それができることもまたひとつの「才能」なのです。

が、ここでひとつ、問題があります。

「勉強して知識を手に入れたらきっと心が穏やかになれるのに、ぜんぜん学ぼうとしてくれない……」
「私はこういう風にやって楽になれたから、この人だって同じようにすれば、きっと楽になるはずなのに……」

その猛烈な勉強量をこなせたのは、あなたに「それをできる」才能があるからです。
あなたが自分の痛みを乗り越える努力をできたのは、あなたに「努力できる」才能があるからです。

「私にできるんだから、あの人にもできるはず。やってほしい」という心を捨てて欲しいんですね。

で、そのために、「自分はその点で特出した才能がある」と受け入れて欲しいのです。

天才は自分がそれをできるがために、同じようにできない凡人の気持ちがわからない、と言われます。

境界性パーソナリティ障害について、尋常ならざる勉強量で詳しくなったあなた。
人間心理について熱心に学習し、時には睡眠時間を削るほど頑張ったあなた。

それを、「誰にでもできることだ」と思わないで欲しいのです。
あなただから、あなたにその高い能力があったから、やれたのです。

自分の能力を認めて受け入れた上で、その人が「できない」という苦悩を受け入れてあげてください。
「自分程度にできるんだから、あの人にだってできるはず」と思わないでください。
実はあなたがやっていることは、とんでもなくすごいことなのです。

「私はカウンセリングを受けただけ」
「カウンセリングを受けるくらい、誰にでもできるでしょ」
「ぱりこ(巴)さんは信頼できるカウンセラーなんだから、受ければいいのに…」

カウンセリングを受けるのにも、あなたの100倍くらいの勇気を振り絞らないとできない人がいることを知ってください。
そしてその100倍の勇気が必要なのは、あなたが救いたい「その人」かもしれません。

あなたが私を信頼できるのは、それほど熱心にたくさんの記事を読んできたり、あるいは直接話したりしたからかもしれません。
それ以前に、そもそも「人を信頼できる能力」に長けているからではないでしょうか。

人は自分が息をするようにできている“才能”に、自分で気づけません。
だから他人にも「同じようにやって!」と強要してしまう
のです。

「できる自分」と、「できないその人」を切り分けて考え、そして受け入れてあげてください。
それは見下す、という意味では決してありません。

できない人にできないことを強要するのは、善意の押し付けもそうですが、「癒そうとする暴力」です。矛盾した言葉ですよね。
癒そうとするあまり、その愛が暴走して、その人を傷つけるのです。

相手のNOが受け入れられないのは、あなたが「NO」と言えない人なのかも

私のカウンセリングには、とても愛情に溢れた優しくて真面目で努力家のかたが多く来られます。

その人たちは優しさのあまり、自分の「嫌」を表明できないことがあります。「そのくらいならいいか」と思い、頼みごとを引き受け、NOと言えない人もいます。

人間とは、他人の期待に応えようとする時、他人もまた自分の期待に応えてくれるだろうと無意識に思ってしまう生き物です。

自分が「NO」と言わず耐えているからこそ、自分の「NO」を受け入れてもらえなくても頑張っているからこそ、相手の「NO」が受け入れられないのかもしれません。

だって私、NOを言わずに、こんなに頑張っているのに。
あなたもNOなんて言わないで、どうか頑張ってよ。

そのままではお互い、雪だるま式に苦しみが増えて、いずれ二人とも潰れてしまうんですよね。

相手のNOを受け入れるには、まず自分にも「NO」と言うのを許すことです。

その人の無茶な要求に「NO」を言う必要もあるでしょう。
その人とはまるで関係ない、職場や親に対して、本当は「NO」というのが必要な場面もあるのではないでしょうか。

苦しんでいるあの人を助けたい、心を楽にしてあげたいのなら、まず自分の苦しみを取り除くことが最重要です。
あなたが幸せでないのに、あの人を幸せにすることはできません。

「あの人のNOを受け入れる」ということは、最終的には自分を愛し、自分をいたわり、自分を幸福にすることに繋がります。

あの人の変化だけを望まないで、今こそ、自分も変わっていってください。
その人との間に起きたトラブルは、「あなたが変わる時ですよ」「このままの生き方では、そろそろやっていけませんよ」と言うサインです。

そうすればきっと、道は拓けますから。
ごきげんよう、さようなら。

境界性パーソナリティ障害当事者の人へ周囲の人ができる対応策をまとめた記事もあります

女性BPD当事者(女性性の強い男性も含む)

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