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境界性パーソナリティ障害

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境界性パーソナリティ障害(BPD)関連の話を書いた記事をまとめています。当事者さん向け・周囲の人向け色々あります。
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#エッセイ

「死にたい、浮き沈み激しい、彼氏に八つ当たりしてしまう…自分だけじゃなかったんだ」安堵が起こす癒しの効果について

最初に申し上げますが、これはエッセイ漫画の宣伝です。 そのつもりで読み進めていただけると幸いです。 この記事で初めて私を知ったかたのために、まず少しだけ補足します。 私は「境界性パーソナリティ障害」という精神障害(疾患)について、2014年からひたすら発信し続けている者です。 ※24年ほどその病気を罹患していて、現在は寛解(克服)しました。 その病の症状が、まさにタイトルで言っている ・死にたい気持ちになってしまう ・感情の浮き沈みが異常に激しすぎる ・パートナーや親など

子どもの頃、ひいおばあちゃんを殺したいほど嫌いだった

実の親より祖父母のほうが厳しいと、子供(孫)は祖父母を殺したくなってしまう、とどこかで聞いた。 わたしは、祖父母よりも曽祖母、つまりひいおばあちゃんを殺したかった。 ひいおばあちゃんはわたしが殺さなくても勝手に死んだ。だから殺さなくて良かったと思う。 曽祖母は鏡台の椅子(高さ50cmくらい?)から落ち、太ももの骨を骨折して入院した。 その入院生活でボケてしまい、骨折のせいで歩けなくなって帰宅できなくなり、施設へ入った。そのまま施設で亡くなった。 ボケが進行したのは入院

「死にたい」のではなく、消えたかったあの頃のわたし

かつてのわたしはやたら 「死にたい」と言う女だった。 今思えばわたしは 死にたかったのではなく、 消えたかったのだと思う。 死ぬのは死体が残って迷惑になる。 わたしと出会った記憶のある人が悲しむ。 吸血鬼が日光に当たって灰になるように、 わたしは消えたかった。 まるで映画の物語のように、 消えた後はわたしのことを みんな誰も忘れてしまうと いいと思っていた。 これから先何十年も 「生きづらい自分」を抱えたまま 生きていくのが絶望的だった。 そして、わたしは過去の失敗を頭の

境界性パーソナリティ障害になって良かったこと

昨日の記事で触れた、「境界性パーソナリティ障害になって良かったこと」をまとめます。 わたし自身は、小学5年生の時におそらく境界性パーソナリティ障害を発症し(心療内科で疑いをかけられたのは高校生の時)、そこから24年の時をかけて克服・寛解しました。 ※寛解(かんかい)…症状がほとんど出ないくらい穏やかになること。 わたしの記事を沢山読んでくださっている方はもう耳にタコができるくらい上記のことをご存知だと思いますが、初めてこの記事でわたしを知る方も多いと思うので、念のため。

境界性パーソナリティ障害の「寛解」ってどういうこと?どういう状態?

2017年4月。 「境界性パーソナリティ障害が寛解(かんかい)した気がする……」と思い、「境界性パーソナリティ障害になってよかったこと」という記事を書きかけました。 現在この精神障害で苦しんでいる真っ最中の方は、「いいことなんてひとつもない」「一寸先は闇」状態だろうなと思ったので(過去のわたしがそうであったように)、なんか、ちょっとした希望になればいいな、と思ったからです。 しかし、それまでに何度も 「目の前の霧が晴れた!」  ↓ 「やっぱりダメだった!」 を繰り返してい

境界性パーソナリティ障害と過ごした半生と、自己治療(寛解)&周囲の対応ポイント【後編・25歳〜36歳現在の話】

(※2023年3月24日、文末に関連リンクを追加) わたしは10歳から34歳までの24年間、境界性パーソナリティ障害(境界性人格障害)という精神障害でした。(英名:Borderline personality disorder/略称BPD、ボーダー、境界例) 「でした」というのは、心理学と自分の病について学び、対処法を研究・実践し、現在その症状が99%出なくなっているからです。 専門用語でいうと寛解(かんかい/症状が和らぐという意味)ですね。 現在は資格を取り、イラスト

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