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境界性パーソナリティ障害になって良かったこと

昨日の記事で触れた、「境界性パーソナリティ障害になって良かったこと」をまとめます。

わたし自身は、小学5年生の時におそらく境界性パーソナリティ障害を発症し(心療内科で疑いをかけられたのは高校生の時)、そこから24年の時をかけて克服・寛解しました。

※寛解(かんかい)…症状がほとんど出ないくらい穏やかになること。

わたしの記事を沢山読んでくださっている方はもう耳にタコができるくらい上記のことをご存知だと思いますが、初めてこの記事でわたしを知る方も多いと思うので、念のため。

現在は寛解を感じてから3年が経っております。相変わらず、自傷行為や自殺未遂など、当時悩んでいたことは一切起きません。

そういう人間が、改めて「境界性パーソナリティ障害になったお陰でこういう利点があったな」と感じることをまとめます。

境界性パーソナリティ障害になって悪かったことなんて、同じ疾患になった人はみんな知っているでしょう、と思うので。
果たしてお役に立つかは分かりませんが、現在同じ疾患で苦しんでいる方の参考に少しでもなれば幸いです。

1.病気を越えて人間関係を築いてくれる人達と知り合えた

境界性パーソナリティ障害と診断されたのは30歳の時でしたが、最初に疑いを持たれたのは17歳でした(10代で精神疾患を認定してしまうとこれからの就職などに響くかもしれないという事で、「疑い」で止められました)。

病気を診断されるまでの間に沢山の人を突き放したし、沢山の人に突き放されてきました。それはすべて、自分の性格が悪いのだろうと思っていました。

「あなたの性格が悪いのではなく、それは病気の症状です」という文献を見て、ホッとしたのを覚えています。

それから信頼できる人々に、そう言って病気のことを話しました。ある人は残り、ある人は離れていきました。離れられて大泣きして追いすがったこともあります。

その頃を思い出しながら、今思うのは「離れて良かったんじゃないの」ということです。

精神病患者だと知っても離れなかった人たちは、寛解したあとも離れることはないんじゃないかと思います。病気とか病気じゃないとか、彼らにはどうでもいいことだから。

離れなかった彼らは最初から「わたし」しか見ていませんでした。病気のわたしとか病気じゃないわたしとかじゃなくて、「わたし」そのものしか。

これから先の人生、どんな困難があるか分かりません。目が見えなくなるかもしれないし、言葉が話せなくなるかもしれないし、大きな借金を抱えたり、寝たきりになったりするかもしれない。

境界性パーソナリティ障害が元で逃げ出した人々は、それらの時、果たして側にいてくれるんでしょうか。
精神疾患くらいで逃げ出す人は、わたしの人生に必要ないな、と今は思います。

(まあでも人生のタイミングとかで、一時的に疎遠になることはあるけど……また会ったら全然久しぶりじゃないみたいに話せたりするんだよな)

2.過去の傷としっかり向き合うことができた

過去に抱えた傷にフタをして生きて、歪んでいる人をちょくちょく見かけます。わたしよりずっと年上の人でも、そういう方は結構います。

わたしも病気が発症していなければ、ああなったんじゃないか……? と思うと、正直おそろしいです。

わたしは境界性パーソナリティ障害が発症して、クソみたいな恋愛を繰り返したり生活もまともに出来なくなったり何かいろいろして、「このままじゃ絶対に駄目だ、治してやる」と決心しました。

ありとあらゆる本や文献を漁ったり、国内の文献だけじゃあきたらず、めしや経営時に知り合った翻訳家の方に、境界性パーソナリティ障害を研究する英語サイトの翻訳を頼んだりしました。

そうしていく内にわかったのは、「自分が苦しいのは、わたしの中身が過去で立ち止まっていたから」だということです。

傷ついた過去を山ほど詰めたドラム缶みたいな入れ物を、フタを抑えつけながら抱えて必死に走ろうとしていたんですね。
そりゃ重くて走るどころか歩き出すことも出来ないわ。

おそるおそるフタを開けて、たくさん泣いて怒ってまた泣きながら過去の傷と向き合ったら、自然にその傷が癒されていきました。

心の病気にならなければ、そしてその病気をつくりだすきっかけとなった過去の傷に向き合わなければ、わたしはなんだか謎に歪んでイタい人で人生を終えていたでしょう。
嫌だ……病気になって良かったです。

(今も見る人によってはある意味イタい人なんだろうけど、わたしは今の自分が好きなので、誰にどう思われようと関係ねえや)

3.心理学と哲学に出会え、学ぶことができた

自分が精神病にならなければ、わたしは心理学に興味を持つこともなかったと思います。

これまで自分では「心理学」を学んでいたつもりでしたが、実は「哲学」が好きであり、哲学を学んでいたこともわかりました。

わたしの人生にとって一番大きな事は、両方の要素を持つアドラー心理学に出会えたことです。深く知れば知るほど「なんて難しいことを言われているんだ!」という気持ちになりますが、それがまた楽しいです。

最近は心理学よりも哲学の方に興味が傾きつつありますが……(まだ少ししか読んでいないけど、ニーチェの言葉が好きです。カントの本も読みたい)
でもその哲学に出会えたのは心理学を学んだお陰だし、心理学を学ぶきっかけはやはり「境界性パーソナリティ障害」が連れてきたものです。

病気にならなければ、これほどまで真剣に学ぶことはなかったでしょう。

4.「自分がない」から色んなものを吸収できた

境界性パーソナリティ障害は「自他の境界があいまいであり、自分がない」疾患だと言われています。

その自分のなさが不安を呼ぶのですが、今のわたしにとっては逆に好都合な性質です。

お陰でわたしは、友人・知人・恋人がおすすめしてくれた数々の映画やアニメや音楽やアクティビティ等をどんどん吸収できました。
(それは病気を克服する前からそうだった)

「やってみる?」「やるやるー!」で得た恩恵は計り知れません。
もしわたしがちゃんと自分を持った人間で、確固たる意志や趣味嗜好などがあれば、きっとこんな風にはなっていなかったでしょう。

お陰でわたしは「趣味が謎」「チョイスが謎」「流れやルーツが謎」とよく言われます。
大変楽しいことです。

もちろん時には怖くて踏み出せない時もありますが、基本的に“自分に近しい人”がおすすめしてくれたものには大体ハマります。
「自分がないから」ですね。

わたしを染めてくれた人々、ありがとう。おかげでオリジナリティたっぷりの色彩になりました。

5.怒りをコントロールできない病気だからこそ、その術をたくさん学べた

境界性パーソナリティ障害の悩みで一番多いのが「感情の起伏が激しすぎる」「怒りがコントロールできない」というものです。

しかし、怒りがコントロールできていない社会人など死ぬほどいます。別に精神疾患じゃなくても。

わたしは境界性パーソナリティ障害になり、とにかく「感情問題」についてたくさん学んで実践してきました。
おそらく今のわたしは、「精神病じゃないけど怒りがコントロールできていない人」よりは穏やかに生きられていると思います。

もちろん小さなことでイラァッとすることは未だにありますが、それを何日も何週間も何ヶ月も引きずることはありませんし、誰かを怒鳴りつけたりもしません。

(あまりにも相手が絶望的に話を聞けない人だと、多少声が大きくなることはありますが……)

6.世の常識にとらわれて苦しむことがなくなった

そもそも精神病患者というものは、世間様から「正道から外れたもの」だと思われていますので(それが苦痛であり、妖怪人間ベムのごとく「早く普通の人間になりた〜い」と思っていたのですが)、病気を寛解した今、少し世の常識から外れたところで気にならなくなりました。

(流行のものを見てもまったく面白いと思えなかった時に一抹の不安を感じますが、わりと数日で忘れます)

むしろ世間の常識通りに生きなければ、と努力している人の方が苦しそうに見える時もあります。

境界性パーソナリティ障害全盛期だった頃の「外れっぷり」と今現在の「外れっぷり」はまったく方向性の違うものですが、あれだけ大きく外れた経験があるので、今くらいの外れ方では大したことはありません。

むしろ心の中で言えば、今のほうが気が狂っているのではないかと思うくらいです。(境界性パーソナリティ障害の時は、常識を重んじているからこそ「普通になりたい」と苦しんでいたはずなので)

7.同じ病で悩む人への説得力ができた

現在はイラストレーターやライター等と兼業で心理カウンセラーをやっているのですが、やはり同じ「境界性パーソナリティ障害(またはそれに類似する症状)」に悩んで相談に来られる方が多いです。

境界性パーソナリティ障害とは「人を簡単に信じられない」病ですので、大体の方が「他のカウンセラーさんと信頼関係が築けなかった」「周囲の人が信じられない」という思いを抱えています。

それに並行して、「自分の気持ちをわかってもらえない」という気持ちも。

わたしは境界性パーソナリティ障害経験者なので、相談者さんから「自分とまったく同じ考え方を持っていたと知って安心した」とか「わかってもらえた気がした」と言っていただけることが多いです。

もちろん「こいつじゃダメだ」と思ってフェードアウトする方もいらっしゃいますし、こちらから「わたしではお役に立てないな」と思って他のカウンセラーさんをおすすめすることもありますけども。
カウンセラーと相談者さんはどうしても“相性”があるので、それは仕方のないことです。

それでも、わたしが「その病気だった人だから」という理由で説得力が高まっているところはあると思います。

他人を信じられない境界性パーソナリティ障害の人は孤独です。世界で自分だけがこんな異様な考え方を持っているのだろうかと不安になるし、悲しくなるし、死んでしまった方が世の中のためになるんじゃないかという気になります。

わたしがこうして発信することで、「自分だけじゃなかった」と安心する人がわずかでもいらっしゃればいいな、と思います。
ごきげんよう、さようなら。

境界性パーソナリティ障害に関するお役立ち記事はこちら

Photo by Saori Ishitobi (koto)

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