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子どもの頃、ひいおばあちゃんを殺したいほど嫌いだった

実の親より祖父母のほうが厳しいと、子供(孫)は祖父母を殺したくなってしまう、とどこかで聞いた。

わたしは、祖父母よりも曽祖母、つまりひいおばあちゃんを殺したかった。

ひいおばあちゃんはわたしが殺さなくても勝手に死んだ。だから殺さなくて良かったと思う。

曽祖母は鏡台の椅子(高さ50cmくらい?)から落ち、太ももの骨を骨折して入院した。
その入院生活でボケてしまい、骨折のせいで歩けなくなって帰宅できなくなり、施設へ入った。そのまま施設で亡くなった。

ボケが進行したのは入院のせいではあったが、死ぬ数年前からほぼ一日中横になって寝てばかりだったので、わたしはもうその辺りから曽祖母を嫌ったり恨んだりする気持ちが消えた。

その人が人間としての活動をできなくなると、「嫌い」とか「憎い」とかいう感情がなくなるらしい。嫌ったり憎んだりできるのは、元気なうちだけなんだと思った。

わたしが子どもの頃、曽祖母は相当元気だった。家中のみならず庭を歩き回り、畑に行き、いつもしゃんしゃん動いていた。そしてよく怒鳴っていた。
わたしは学校から帰ってから夜眠るまでほぼずっと怒られていた。いつも「早く死んでくれ」と思っていた。

でも何となく、それだけはダメだと思っていた。倫理的な理由よりも、「なんでこんなクソ婆あを殺してわたしが刑務所に入らなければならないのか。不公平だ。この婆あが刑務所に入ればいいのに」と思っていたからだ。

わたしは自分がリストカットをしていたのは「母を注目させたいから」だと思っていたが、もしかしたら曽祖母への殺意を解消する意味もあったのかもしれない。
リストカットってのは、ひとつの原因でやるものじゃないからなぁ。

それでも曽祖母との同居に限界を感じ、号泣しながら母に助けを求めた結果、わたしは曽祖母から離れることができた。

わたしが家からいなくなってしばらくすると、曽祖母はみるみるうちに元気をなくした。

「あんたがおったお陰でおばあちゃんは元気だったんだねぇ」と家族に言われたが、曽祖母の元気を保つためになぜわたしが犠牲にならなければならないのか、と思っていた。

* * *

曽祖母が亡くなってから、テレビで「祖父や祖母を殺す孫」のニュースをやたら見るようになった。

そういう事件が増えたのかもしれないし、自分が曽祖母を殺したかったので気になっただけかもしれない。とにかくよく見た。

きっと犯人のお孫さんにも色んな事情があったんだろうな、と今なら思うが、当時のわたしは「どうせ放っておけば死ぬのだから、わざわざ殺さなくていいのに。アホじゃ」と思っていた。

一歩間違えば、わたしもこのニュースの一人になっていたかもしれない。
でもわたしは殺さなかった。殺さなくても勝手に死んだ。だから何か、「勝ち逃げ」できたようなそんな気分だった。

ただ、それから十年以上も経つと、「どうせ死ぬものをわざわざ殺すなんてアホじゃ」という気持ちはなくなってきた。

「祖父や祖母を殺してしまったお孫さんたちは、逃げ場がなかったんじゃないか」と思う。なぜなら自分も、子どものころ逃げ場がなかったから。

曽祖母の凶行は家族の全員が知っていた。
だからわたしはそのとき一緒に住んでいた他の家族に相談したのだ。
「大きいおばあちゃんを何とかして」と。
(※うちの家では、祖母を「小さいおばあちゃん」、曽祖母を「大きいおばあちゃん」と呼んでいた)

誰もなんともしてくれなかった。

というより、わたしを助けると、他の家族に火の粉が降りかかるのだろう。
わたしが生まれる前までは、わたしの母や母の妹弟(つまりわたしの叔母と叔父)が餌食に遭っていたようだ。

わたしがターゲットの時代は、自分ばかり怒られているように見えた。(もしかしたらわたしの知らない所で、他の家族もギャンギャン言われていたのかもしれないが)

あの頃の子どもの自分に、「殺したいなんて、そこまで思わなくていいのに」なんてとても言えない。祖父母を殺してしまった人々に、「殺すまでしなくてよかったのに」とも。

殺そうとまで考える前に、実行する前に、それ以外の家族は何かしてあげたのだろうか。あの時のわたしと同じように、誰も助けてくれなかったのではないか。「おばあちゃんはそういう人だから」「あんたが我慢しなさい」など言って。

わたしは手首を切り刻んで号泣して頼んでやっと物理的に離してもらえた。
でも今思えば、なんでそこまでしないといけなかったんだろう。

曽祖母を恨む気持ちはもうない。死んだから。
けど日本中に、そんな人がたくさんいるんじゃないか、と思う。

毎日毎日憂さ晴らしのように怒鳴り続ける曽祖父母、祖父母、父母。
逃げたくても逃げ場がない。
だから自分の体を切り刻んで殺意を抑えつけたり、あるいは本当に殺すしかない。もしくは自分が死ぬか。

なんでそんな勝手なやつらのために若い命が消えなければならないのだろう。天から雷が落ちてきて、怒鳴り狂うそいつら全員に落ちればいいのに、と思う。

でもそんなことは起きないので、わたしは時々、身勝手な家族に心をズタボロにされた若い人の話を聞くだけだ。

わたしは神でも仏でもないので、全員を救うことはできない。
「許してあげなきゃなんて思わなくていいよ。許さなくてもいい。許さなくても幸せになれる」
そんな言葉をかけることがある。

「そんなやつ殺さなくても大丈夫」「身勝手な家族に心をボロボロにされても、ちゃんと幸せになれるよ、大丈夫」

祈ることしかできない。

今日は確か曽祖母の誕生日だった気がする。
曽祖母が亡くなった後、その遺品に、わたしのことをたくさん心配している日記が見つかった。曽祖母は曽祖母なりにわたしを愛していたようだ。

でもやっぱり、あのとき離れて良かったし、死んで良かったと思う。

自分を傷つけた家族を、綺麗な話で美化する必要はない。
死んで良かったと、思ってもいいと思う。
死んで良かったと思ってしまう自分を責めないでほしい。

あなたはそう思ってもいい。誰が許さなくても、わたしが許したい。

※写真は子どもの頃のわたくしです。
この頃はもう、自傷したりしてるんだよなぁ。
何でそんなことするしかなかったのか。
可哀想だなあ。

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