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「死にたい」のではなく、消えたかったあの頃のわたし

かつてのわたしはやたら
「死にたい」と言う女だった。
今思えばわたしは
死にたかったのではなく、
消えたかったのだと思う。

死ぬのは死体が残って迷惑になる。
わたしと出会った記憶のある人が悲しむ。
吸血鬼が日光に当たって灰になるように、
わたしは消えたかった。
まるで映画の物語のように、
消えた後はわたしのことを
みんな誰も忘れてしまうと
いいと思っていた。

これから先何十年も
「生きづらい自分」を抱えたまま
生きていくのが絶望的だった。
そして、わたしは過去の失敗を頭の中で
何度も再生する思考傾向を持っていた。
(後で知ったが、思考促迫というらしい)

失敗が頭の中で何度も再生される度に、
頭をカチ割って自分の記憶ごと
自分の存在を消したかった。
わたしが消したかったのは
他人の記憶ではなく、
自分の記憶だったのかもしれない。
死んでもなお生前の記憶が残るとしたら、
それこそ地獄じゃないか。
当時はきっとそんな風に思っていた。

わたしはなぜ、
自分の失敗を許せなかったのだろう。
わたしはなぜ、
完璧超人であろうとしたのだろう。

精神的な病を克服したからといって、
「完璧な人間」とか
「失敗しない人間」になれる訳じゃない。

よく、カウンセリングの相談者さんに
「病気を寛解したあなたは、
神や仏のような人柄かと思っていました」
と言われたりするが、そんなこともない。

わたしは今も嫌なことにはイラッとするし、
小さな悩みも迷いも沢山ある。
悟りを開いた訳じゃない。
ただ、そういう「心の揺れ」が起きても、
自分で対処できるようになっただけだ。

「病気さえ治せば、今までの自分と
まったくの別人のような、
すばらしい人間になれるはずだ」
と思い込んでいる人が多い。
だから苦しみから抜けられない。

“完璧な人”を目指す限り、
人は何度でも
この世から消えたくなるだろう。
だって人間である限り、
「完璧」であることなど
ありえないのだから。

弱い自分を、
不完全な自分を、
それでも今まで
必死で頑張ってきた自分を、
どうか受け止めて
あげてください。
殺そうとしないで。
消そうとしないで。
あまりにも“あなた”が
可哀想だ。

あの頃のわたしにも、
そう言ってあげたい。

私がかつてかかっていた精神疾患に関する記事はこちら

Photo by Saori Ishitobi (koto)

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