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境界性パーソナリティ障害の「寛解」ってどういうこと?どういう状態?

2017年4月。
「境界性パーソナリティ障害が寛解(かんかい)した気がする……」と思い、「境界性パーソナリティ障害になってよかったこと」という記事を書きかけました。

現在この精神障害で苦しんでいる真っ最中の方は、「いいことなんてひとつもない」「一寸先は闇」状態だろうなと思ったので(過去のわたしがそうであったように)、なんか、ちょっとした希望になればいいな、と思ったからです。

しかし、それまでに何度も
「目の前の霧が晴れた!」
 ↓
「やっぱりダメだった!」
を繰り返していたため、当時は
「本当に寛解したのか?」
「こんな記事をアップして、またぶり返したらどうしよう」
と思って公開できませんでした。

もうひとつ公開できなかった理由は、その時感じた「寛解」があまりにも“普通”だったからです。

パーソナリティ障害というのは人格に関わる精神疾患なので「完治」はむずかしく、「寛解(症状がとても穏やかになること)」を目指すのだ、と何処かで聞いたのですが……

わたしはその「寛解(穏やか)」が、なんというか……この世のものとは思えない、天上の世界にいるような心穏やかさへ、急激に変化するもんだと思っていたのです。

急激に自分がまったくの別人になるような、さっきまで地面の上にいたのに数分後にはもう50メートル上にいる絶叫アトラクションに乗っているような。
富士急ハイランドのレッド・タワーみたいな感じ? 乗ったことないですけど。

そんな想像をしていたのに、ぜんぜんまったく、「普通」だったのです。

普通というか……“平坦”? ジェットコースターのようなあの感情の波がウソのよう。
ものすごく、淡々と、いつ変わったかわからないくらい「あれ、最近わたし感情の波そんなになくない…?」という感じになりました。

今までジェットコースターみたいだったから、寛解する時もジェットコースター的に起こると思っていたのに、遊園地にある子ども用機関車的な速度で淡々と「感情の起伏が今までほど起こらない」状態になっていったのです。

そして心の中も、天上の世界的な感じではありませんでした。
恋愛も対人関係も仕事も将来のことも何もかもが大きな不安に包まれていたのに、いつの間にか「まぁ何とかなるか」と思うようになっているんです。

不安がまったく消えるわけじゃなくて、不安は確かにあるんだけど、「まぁ、わたしならそれがやって来ても乗り越えられるんじゃないかな」「ひとりで乗り越えられなくても、誰かを頼ればいいんじゃないかな」とか思っているんです。

「あれコレまるで、わたしが長年憧れてきた“普通の人”みたいじゃない?」
と感じました。
ずっと「普通になりたい、普通の人になりたい」と思って生きてきたけど、いざなると実感がわかないもんなんですね。
(そもそも「普通って何や」というセルフツッコミもずっとしていたんですけども)

「えっ、あっ、これ? これが長年追い求めて憧れ続けた“普通の人”? ……普通だ……」みたいな感じ。

さて、あれから3年と7ヶ月。

当時は「この状態が本当に永久につづくか判らない」と思っていたし、実際にちょっとした感情の揺れはあったけれど、わたしはやっぱりどう考えても寛解しているんですよね。

で、急に思い出したので、書きかけの「境界性パーソナリティ障害になって良かったこと」の続きを書こうと考えています。

その前に「境界性パーソナリティ障害の寛解」をあまりにも理想化しすぎて、ハードルを上げすぎて苦しんでいる方が多いんじゃないかと感じたので、この記事を前説的な感じでアップしようと思いました。

とはいえ、これはあくまで「わたしの寛解」なので、他の方にはもっと「違う寛解」があるのかもしれません。
残念ながらわたしはわたし以外に境界性パーソナリティ障害を寛解した知り合いがいないので、わからないんですよね。お会いして話したりしてみたいなぁ。

あと、他の精神疾患・精神障害を寛解した方も同じ感じなのか、それとも全然違う感じなのか知りたいです。
たとえば、うつ病の寛解(うつ病の場合は完治?)はどんな感じなのか、とか。わたしと同じなのか、とか。

もし「体験談話せるよ!」という方がいらしたら、お気軽にメッセージいただければ嬉しいです。

まぁそれはともあれ、この記事がどなたかのお役に立てば幸いです。
ごきげんよう、さようなら。

境界性パーソナリティ障害に関するお役立ち記事はこちら

※写真は今年の1月に鳥取砂丘観光リフトに乗った時のやつです。
傷がついても経年劣化しても、ちゃんと上には登っていけるんですよってことで。

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