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死ぬということ

この金子氏の奥様の書かれた本
「金子哲雄の妻の生き方 夫を看とった500日」を読む

いくつか抜粋させていただく。
”「死を迎えようとしている人たちから聞こえてくる声で、いちばん多いものは、「死への恐怖」ではなく、「一日が長いという苦情」
「もうこれ以上、やらなくていいよ。ゆっくり寝てなよ」と声をかけることは、最後まで苦しみとだけ向かい続けろ、といっているのと同じ”

金子氏がなくなってからのあとに
”新しい関係が始まっている”

”自分という存在の儚さを痛感し、しかもそれが自分一人だけがそうであるということに、圧倒的な孤独を感じるのではないでしょうか”

”無理に共感しようとする行為も、その人を傷つけることになるのではないでしょうか病気ではない自分は。、患者の痛みを真の意味でりかいすることなど、絶対にできないからです。「わかったふり」は、深く患者を傷つけ、患者との信頼関係さえもこわしてしまうかもしれません。”

”自分には到底わからない何かを感じている相手のことを何とか理解したい。そういう姿勢が大切なのだ”

”死を特別視しない。
病人や死にゆく人を、そのまま受け入れる。
非常に難しいことです”

上記 ” ” の文章は、
「金子哲雄の妻の生き方 夫を看とった500日  金子稚子 小学館」
から引用させていただきました。

心に刺さった言葉をいくつか挙げてみた。
私は、まだ両親がありがたいことに高齢ではあるが健在、そして自分の家族も元気に過ごしている。

ただ私にとっては、大切な人、も 大切な犬(りす)も もしかしたら、おいいっしょにするのか、と思われる方もいるかもしれないけれど、同じ、いや、もしかしたら自分がいなければ生きていけない犬(りす)の方が、喪失感は大きいかもしれない。。。

グリーフケアを学んでいくにあたり、この文章はきっと私の心の隅にずっとある。哀しむことも必要。泣くこともまわりからとやかくいわれることではないけれど、「死」というものに向き合い、残されたものにとって、それがなんであるのかは、しっかりと受け止めていくべきものであると思う。

誰しもが迎える「死」
そして、見送ること。
非日常なことではあるが、やってくる当たり前のこととして、受け入れる準備、寄り添う気持ち、相手を尊重すること、忘れてはいけないことがたくさんある。

人との別れは、悲しいね、といってくださる方は多いかもしれない。
しかし、動物との別れも、
「犬じゃん」 「また次飼えばいい」では済まされないことも、周りの人たちが理解してくださるようになっていくといいな。

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