見出し画像

頭が悪くなっている気がする


「ゴンドラ」をモチーフにした
東野圭吾の本を最近読んだなー。


なんとなく大学からの帰り道に、そんなことを考えていた。

ただ、どうしてもタイトルが出てこない。


意地になって考えていたが、
結局思いつかないまま家に着いてしまった。


タイトルが出てこない23歳は、この先大丈夫なのか。


肩を落としながら携帯で検索し、
文明の利器にひれ伏すばかりである。



ルネサンスの時代の活版印刷や羅針盤も
このくらいの衝撃だったのかな、など。


どうでも良いことを考えるきっかけまでくれて
スマホとは、非常にありがたい。



一応書いておくと、タイトルは「恋のゴンドラ」だった。


たくさんフレーズを考えてはいたのだが、


男女の恋愛関係についての話で、
かつ若干のミステリ要素が入った小説だ

という内容まで浮かんでいて、
答えが出なかった自分の思考回路を
むしろ褒めてあげたい。



いつもの通学路でも、
スマートウォッチさえつけていれば
歩いた歩数と心拍数が測定され、


ランニングになると歩幅や
左右の足を踏み出すリズムの対称性、

1kmごとのペースなどが可視化されていく。


苦しいだけだった運動も、
理系だからか、

数値を眺めながら行えば楽しく感じられ、
なんとか続けられるようになってきた。



ただ、最近スマホや
スマートウォッチといった文明の利器に、

あらゆる面で支えられすぎではないか、
とも思い始めてきた。


単純に僕がやっていることを
デジタルデバイスに外部化し続けた場合、

時間や労力は確実に浮いているはず。



ずっと前に見た動画の話だが、
ボクサーのフロイト・メイウェザーが言うには

人には1日あたり4時間の自由時間があるのだとか。


彼はその時間を練習に費やすが、

他の選手はそこまで本気で練習せず
必ず時間を浪費するから彼には勝てない。


いかにも王者らしい理屈だし、

きっとこの "4時間" は
作業をデジタルデバイスに移管することで

今後も拡大していくのだと思う。



宇宙空間に放り出されたように
ただ時間の海に溺れる人もいれば、


拡大し続ける "4時間" を器用に乗りこなし、
人生を謳歌する人もいて、


両者にきっと埋めようのない溝ができてしまうのだと。



とかなんとか、考えてはみるものの
僕が後者になるビジョンは全く見えていない。


いつものnoteを文の頭と末の文字を使って
しりとり形式で書くくらいには暇なのだ。


ダメだなぁ、1時間くらいかけたけど
やっぱり上手く書けない。


いつになったら僕の国語力と文章力は向上するのだろうか。


考えるのもしんどくなってきたので、
ここから先はAIにでも書いてもらおうかなぁ。


「あ」から始まった、
この長々とした言葉遊びも飽きてきているし。


終始、話があっちこっちに
行ってしまったけれど、


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?