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私たちは感じたものすべてでできている

「私たちは食べたものでできている」
と言われるけれど、「食べたもの」って食べ物だけじゃない。
五感で感じるものすべて当てはまる。

目・耳・鼻・口・皮膚
見たもの、聞いたもの、嗅いだもの、食べたもの、触れたもの
全部。
それらすべてが私たちの体や心をつくっている。

私はずっと心身ともに健康になりたくて、時には痩せたくて、
たくさんの食事法を見つけては試し、見つけては試しを繰り返していた。

りんごだけを食べる生活をしてみたり、炭水化物なしの生活をしてみたり、玄米だけを食べる生活をしてみたり、ヨーグルト中心の生活をしてみたり、朝食をスムージーに置き換えてみたり、ひたすら納豆を食べ続けてみたり、夕食を抜いてみたり、朝食を抜いてみたり・・・。

これまで試してきた食事法を挙げればきりがない。
そしてこれらすべて体に良いと思って取り組んでいたけれど、
どれも長く定着したものはなかった。

そして体のためを思って取り組んでいた食事が
実は自分の心と体のバランスを乱していたということ、そして自分を苦しめていたことにやっと気がついた。

さらにはとても極端な思考を持つ自分にも気がついた。
完璧主義。ゼロヒャク思考。
100%完璧に取り入れられないのであれば、やる意味がない。
自分で決めたルールを少しでも破ってしまうとかなりの自己嫌悪に陥る。
ちょっとでも間違えるともうどうでもいいやと投げやりになる。
そんなことを繰り返していた。

特に食事に関してはなぜか強いこだわりがあった。
この食事をしているのだから私は心身ともに健康なはずだ、幸せなはずだと自分に言い聞かせて思い込ませていたように感じる。

でも実際は心から幸せとは感じられていなかった。
きっと本当は心の奥底で苦しい、なんか違うと感じていてもそれを認めたくなかったのかもしれない。
だからそうやって思い込ませてその声が聞こえないように、違和感を感じないようにしていたのかもしれない。(無意識に)
自分の本当の声と向き合うことが怖くて。

今、冷静になって考えると
食にとらわれていたな、と思う。
そしてそんな自分が今でもちょこちょこ顔をだす。

それでも以前とは異なり、
自暴自棄にならずに自分と向き合えているのは

「私たちは食べたものでできている」という言葉でいう
「食べたもの」が食べ物だけを指す訳ではないということを知ったから。

私はずっと、
「私たちは食べたものでできている」
だから、食事に気をつけなければいけないと考え、
食べ物ばかりに目を向けていた。

でも、
「食べたもの」って食べ物だけじゃないんだって思えるようになってから100%食べ物に向いていた意識がゆるみ、食に執着していた心が解放されたようだ。

ここでいう「食べたもの」って食べ物だけじゃないんだ。
もっと広い視野で「食べたもの」と向き合えるようになりそう。

口だけじゃなくて
目・耳・鼻・皮膚から取り入れるものすべてが
私たちの心と体をつくるんだ。

だから、食事だけじゃなくて
見るもの・聞くもの・嗅ぐもの・触れるものにも意識を向けよう。
そう強く感じるようになった。

こう捉えられるようになってから、
食への執着が薄くなり、心がとっても軽くなったのを感じた。
それと同時に、
自分が今までどれだけ食にとらわれていて、食に心が支配されていたのか、どれだけ食が自分の中で大きなプレッシャーとなっていたのかにも気がついた。

無意識に自分で自分にプレッシャーをかけていたんだね。
自分ではなかなか気がつけないだけに、無意識っておそろしい。
自分の中では当たり前となってしまっていることだから。

これからは、どんな自分で在りたいかを軸に
「何を見るか・何を聞くか・何を嗅ぐか・何を食べるか・何に触れるか」
を自分で選択すること。

どれか一つに偏らず、
視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚
五感すべてに意識を向けて生きていく。

そのために五感を研ぎ澄まそう。感覚器官をととのえて。
自分に合ったものが選べるように。
自分に必要なものを感じ取れるように。




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