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ゆるい繋がり|放送部

高校入学。さて、何部に入ろうか。帰宅部でもいいんだけど…ちょっと興味のあるところには顔出してみようかな。出席番号が前後になった子とその子の友だちと3人で放送部へ見学に行った。部室となる放送室には3年生の先輩が3人いた。発声練習を少し体験した。

後日の部活決定日。わたしは見学に行ったからというフワ~っとした理由で放送部に入ることにした。一緒に見学にいった子2人は書道部に入った(!?)放送部に入部した1年生は男4人、女1人。そう、女子は、わたしだけだった。

放送部は計10名になった。3年生が引退すると女はわたし1人になる…これは心細いなぁ。まぁ、1か月くらい様子を見て、耐えられないと思ったら辞めよう。そう割り切ることにした。

3年生の先輩が言った。「女子1人しかいないから、君はアナ(アナウンサー)に決定ね。辞められたら、困るなぁ~!」

わたししか、いない。
その言葉で変な責任感がわたしの中で生まれてしまった。辞められないじゃないか...
こうして、わたしの高校生活部活編が始まった。

放送部は毎日活動があった。昼休みに校内放送(ラジオ風15分)をするのだ。アナウンサーは自分で原稿を書いてきて読む。機械担当はマイクの音量調整やBGMを流す。
わたしたち1年生は入部してすぐに戦力として動いた。アナウンサーのわたしは新聞を読んで原稿のネタを探し、ラジオを聞いて最新の邦楽をチェックするのが日課になった。
校内放送担当日はお弁当を持って放送室へ行く。原稿を読み、曲が流れている3~5分でお弁当を口に詰め、また原稿を読み、またお弁当を詰めこみ、という時間だった。アナウンサーはわたしともう1人の2人体勢だったため、隔日でそんなふうに慌ただしい昼休みを過ごした。

放課後は発声練習をしたり、アクセント辞典を読んだり、放送部らしい活動もしたが、各々好きな場所で好きなことをしている方が多かった。棚にはマンガが並んでいた。好きな音楽を流したり、お菓子を食べたり、宿題をしたり。特に何もしたくなければ帰るのもOK。放送部員でない同級生も遊びに来て、とても”ゆるい”たまり場になっていた。顧問の先生は部室に顔を出さず、活動に口も挟まないというスタンスだったため、このゆるさが許されていた。

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ここで少しだけ、放送部同級生メンバーのことを紹介しておこう。全員放送部素人である。
●Aくん:後々生徒会長になる男。人当たりのよい好青年。タロット占いができる。アナウンサー担当。
●Bくん:将来はテレビ局に勤めたいと思っている男。とんねるずが好き。ユーロビートが好き。機械担当。ディレクター。
●Cくん:他人の不幸は蜜の味と言ってはばからない男。超絶マイペースでちょっとトラブルメーカーなところがある。機械担当。
●Dくん:見た目はクールでシャイだが中身は熱い男。たまに吐く毒舌が的を射ている。女子にはとことん優しい。機械担当。
●わたし:人見知りの陰キャ。声質を褒められることが多いが、実はコンプレックス。アナウンサー担当。

*

そんな毎日を過ごすわたしたちにも、放送部の全国大会「全国高校放送コンテスト」に出場する時期がきた。アナウンサーは朗読部門、放送部全体としては創作ラジオドラマ部門に出場することになった。

わたしは朗読課題の中から自分が読みやすいものを選んで、時間内に読み収まるように練習した。創作ラジオドラマはディレクターBくんが作ったドラマに部員全員がアフレコをした。放送部素人たちは、ほぼ手探りでそれぞれ奮闘した。

地区大会当日、会場は県内の高校。朗読部門出場のわたしは、教育テレビでよくやっていた朗読劇を頭にイメージしながら「相手に伝わるように丁寧に読む」ことのみに集中して読んだ。ほんの数分。あっという間に出番を終えた。

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結果発表。放送部素人たちは、なんら賞を取ることはできなかった。しかし、あと一歩という高評価だった。わたしは高評価に面食らっていたが、Bくんは俄然やる気が出たみたいだった。そして、1番喜んでいたのは、顧問の先生だった。なんでや。

大会後のわたしたちは特に何も変わらず、昼は校内放送をして、放課後は放送室でのんびりとした時間を過ごした。相変わらずゆるかった。

1年後、後輩に女子がたくさん入ってくれた。女子はわたしだけではなくなった。肩の荷が下りた。これで、いつ辞めてもいいわけだ。

しかし、わたしはフワ~っと入部した放送部を3年生で引退するまで、辞めることなく続けた。同級生も誰も辞めなかった。お互いに変に干渉せず、適度な距離感を保ちながら、そこに居ることを認め合っていたように思う。そのゆるいバランスにわたしは居心地の良さを感じていた。同級生もきっと同じように思っていたんじゃないだろうか。わたしの勘違いでなければ。

高校卒業後、それぞれの道へと分かれた。Aくんとは同じ大学だったが学部が違ったため、会ったのは大学1年生の時に3回くらいしかない。Bくんはテレビ局への道にまっしぐら。Cくん、Dくんは別の大学へ進学していった。

当時はmixiが流行っていて、そこで繋がっていたこともある。そこでもわたしは、ゆるさ全開だった。お互い元気であることを、たまに確認するだけの関係。今はもうmixiは退会したので、連絡手段はない。みんな今どこでなにをしているのか、わたしは知らない。今後、会うことがあればそれはそれでいいし、まったく会う機会がなくても、それはそれでいい。元気でいてくれたらと願っている。

手元にある写真は、卒業アルバムに載っている1枚だけ。なかなかみんな、いい顔をしている。

(おしまい)



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