![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/40610333/rectangle_large_type_2_5944c83a081a94c8ea73f877c4e8b32c.jpg?width=800)
物書きになりたかった
cakesが燃えてますね。
それに伴って、noteを離れるひとが増えているであろう今、何故か初めてのコンテンツを書いてみています。
何故なんでしょうね。
多分、今回の炎上のきっかけが、自ら命を絶った友達のことだったから。
私にもそんな友がいます。
彼女に会う前は、授業で書いた作文や詩が誉められるから、私は文章が書ける人なんだと思っていました。
そして当時、高校1年生で、初めてのバイトの本屋を「万引きを見落としてばかり」という理由でクビになり、普通の社会人としての将来に不安を感じていたこともあり、物書きとして生きていけないか、と考えていました。
でも、彼女は独特の文章を書くひとで、文章力も世界観も私なんかとは比べ物にならなくて、「この子がプロになれないなら、私なんてとても無理だな」と思いました。
負けず嫌いの私なのに、普通にすんなり、そう思えるだけの圧倒的な才能の持ち主だったのです。
それでも、ジュニア小説誌や文芸誌に原稿用紙100枚の小説を送ってみたりはしたけど、私ごときでは当然のように、箸にも棒にもかかりませんでした。
そんな頃、図書館の蔵書量も学校選びのポイントになった、短大の図書館で、鷺沢萠さんの小説に出会いました。
『スタイリッシュ・キッズ』
…あぁ、この筆力でこの世界を描く作家さんがいるなら、私が無理して小説を書く必要はないな、と思いました。
その後、友人の小説はあるコンテストで入選し、アンソロジーの一篇として単行本に収録されました。
でも、もう、友人も鷺沢さんも、この世にいません。
私が文章を書かない理由は、なくなったのかもしれません。
二人がいなくなって10数年、世の中は随分変わりました。
100枚もの原稿を書かなくても、今だってスマホで片手で打っているだけの文章を、見知らぬ誰かに見てもらえるnoteというプラットフォームがあるのです。
利用できるものは、利用すればいいんじゃないか。
そう思いました。
仕事のために書くブログなら、何かしら有用なことを発信しなくては!と構えてしまいます。
ここには、役に立とうが立つまいが関係ない、日記のようなエッセイのような、散文を書き散らして、「物書きになりたかった」自分の中の燃え残りみたいなものを昇華していけたらよいな、と思います。
ビジネスでもなんでもないので、定期的な更新などはしないと思いますが、もし読んでくださる方がいたら、インナーチャイルド的な、私の中の10代の私が喜ぶはずです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?