哲学: 自分らしく生きることは人に嫌われるのか
「嫌われてもいいから自分らしく生きたい」という人がいる。自分らしく生きると人に嫌われるのだろうか。
つまり「自分らしく生きることは他人から嫌われることだ」という前提が正しいかどうかということだ。
結論は「嫌われない」である。
もしかすると「相手にされない」はあるかもしれないが「嫌われる」ことはない。
「自分らしく生きる」と良い言葉に変えているだけで、本音は「他人に気を使うことはやめたい」ということなのだろう。それなら正直にそう言って欲しい。
ぼくは「自分らしく」といわれる「他人に気を使わない」をやってみた。
こうやってnoteでも自分の考える哲学を投稿しているが、好かれることはないにしても嫌われることはない。相手にされないだけだ。
自分らしく生きることは利己的に生きることでもある。自分の利益を最大限にすることだ。
しかし、ここでとても大切な条件がある。
「他人の犠牲にならない」のと同じように、「他人を犠牲にしないこと」だ。
この「他人を犠牲にしない」という思考はしっかりと身につけることだ。
そうすれば、好かれることはないにしても嫌われることはない。
周囲の人は次第に「慣れ」てくれるものだ。嫌われるのは他人を犠牲にするからだ。
早く自分という人間に慣れてもらうしかないのだ。
あなたが自分らしく生きている人を嫌いでないなら、あなたがそうしても嫌われることはない。
「人間とは何か」を少し考えれば答えは見つかるはずだ。
「人間は自分に最も興味がある」ということは真実だ。
この記事を読んで「何だコイツ」とあなたが思ったとしても、ぼくを嫌うほどの深い付き合いはないので、別の投稿記事に飛ぶだけだ。
そういうことなのだ。