私には夢がない…

「夢」
「夢を叶える」「夢の叶え方」「夢を叶えるには」「夢は諦めなければ…」夢をネタに金儲けが出来るシステムが作られていることに驚く。
「私には夢がある」と言ったルーサー.キング氏のように宣言したいが「私には夢がない」。
「夢がないなんて寂しいね」とも思われるだろう。昔は夢があったのかもしれないが、おそらく、夢と幻想を勘違いしていたのかもしれない。
もしかするとそこから目覚めただけなのかもしれない。たぶんそうだろう。
人間の心は経験という面では白紙だ。何もないのだ。
何を触れば熱くて、何を掴めば痛いのか、何が危険で何が安全かもわからない。
経験によって白い紙に色がついていく。
「だからこそ私たち教育者は…」といった教育心理学のお話ではない。
子供の頃にある高い記憶力はそういった危険回避を学習する臨界期にあるからすごいのだ。
経験を積んでいき危険回避を覚えると、記憶する力は次第に収まっていく。臨界期を過ぎたのだ。
夢と現実がわからなくなるのはこんな時期だ。自立が始まったのである。危険を避ける術は知ったが現実を知らない時でもあるのだ。
夢がなくなったのではなく現実を知るようになるのはもう少し先だ。
未経験は自分が何でも出来るように勘違いする。偶然が重なった特殊な成功例を真実だと思うこともよくある。やがて幸運の女神は自分とは無関係であることに気づき始める。
そんな時「夢は諦めなければ必ず叶う」といった心地の良いフレーズを信じ込み、そうでない人に吹聴することもある。
やがて、何かに向かって努力することではなく、「諦めない」ことが目標、目的になり、「諦めない」という目的だけが達成されることになる。
諦めようとする心を「諦めない」と頑張るから心地よくなるが本来の目的はどこに行ったのかを考えることもない。
私には夢がない。
それなのにやりたいことがたくさんあり、事実、やっている。
私には夢がない。叶えたい夢がないのだ。
諦めるとか諦めないとかそんなことを考えることもない。やりたいことややるべきことだけが目の前にあるのだ。
いろんなことをやりたいのに時間が足らない。疲れ果てて自分が今どこにいるのかさえわからなくなることも多い。
しかし、私には夢がない。叶えたい夢が一つもないのだ。
それなのにやりたいことがたくさんあり過ぎて、嬉し過ぎて早く目が覚める。
今こうして我慢して書きながら身体を休めている。
夢なんて必死に探さなくてもいい。
「諦めなければ…」なんて無理してやるもんでもないと思う。
やりたいことややるべきことは「やるな!」と言われてもやってしまうものだ。
「諦めろ!」と言われるような対象でもない。嫌いな物を我慢して食べるようなものではないのだ。
夢なんてなくても何ともない。やりたいことがあればそれでいいじゃないか。
何者でもない者だという自覚があれば何だって出来る。私には夢がない。一つもない。

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