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マーケティングよりも誠実さだ!

勤め人の人にはマーケティングの知識はほぼ要らないと思う。しかし、いつもマーケティングの広告に晒されている。

現代は情報化社会などと言われて、誰でもマーケティングをかじってビジネスに利用することができる。

ぼくはこれを、マーケティングバブルと呼んだ。

セミナーや著書で人を集めてお金儲け。儲かっているのは主催者だけ。それをあいつもこいつもやるのだ。なんちゃってマーケターの出来上がりである。

マーケティングは学べば学ぶほど、これってマーケティングビジネスだねというのがわかる。一つの小さな成功例を過大な物語に変える術を知っているようだ。

人間の浅はかな「得したい」という心理をいじってくる。不必要なものを必要であるかのように思わせて売りつける。

「でも、あなたが欲しいって言ったんでしょ」と逃げる用意もしてある。

これから先は、マーケティングをやればやるほどその手法がバレて、売れなくなるのではないかと思う。

飲食店には「こだわり」をウリにするが、どの店でもやるので「ウリ」になっていない。

メニューを見るとやはり普通だ。本当にこだわっている店からするといい迷惑だろう。

バブル期もそれ以降も現在も「これからは本物だけが生き残る」という。当たり前のことだ。間違ってはいないがマーケティングだ。

「オレは本物だ!」という自意識を刺激する。その気になる。みんながだ。

抜け出ることも一人勝ちすることもできないのだ。

noteを利用されている方々に向かって、「これからは本物だけが読まれますよ!」と言われて、「じゃあ私やめるわ」という人はいないだろう。

「私こそは!」となるのが普通だ。

マーケティングの技術は、そういった普通のことを特別なことのように思わせるところがある。

「確かに、確かに」とうなずきそうになるが普通のことだ。普通のことだから、効果も上がらず再現性もない。あったとしても一時的なものがほとんどだ。普通だからだ。

「本物だけが…」という話は真実なのだが、自分のことではないのも真実だ。そのことに、はたと気づくあなたは本物かも知れない。

本物は本物にしかわからないが、その本物が少ないから本物が見つかることがほとんどないのが本物の宿命だ。少しややこしいのが本物なのだ。

本物とは誠実さだ。「本物が生き残る」というのは、「誠実さが生き残る」という意味になりはしないだろうか。これなら当てはまる人がいるはずだ。

noteという狭い世界においてさえ、誠実でないと評価されないように思うのだがどうだろう。

ぼくはというと、怪しいかぎりだが、誠実にやろうという気持ちだけはある。あなたはどうだ。

たくさん書いたけど、読んでくれる人がいるのがわかったので頑張って書いた。

(マーケティングの売り込み方に辟易として…)