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少し真面目なはなし、食と環境について。

食に対する意識が変わったこと

  学生時代、たまに行くコーヒーチェーン店でコーヒーと共にパンやケーキを楽しむのが好きだった。シーズンによって異なる種類のそれらはとても魅力的で、毎回違う種類を試すのが楽しみでもあった。ところが、それら愛してやまないスイーツ達が、ある日を境に食べられなくなってしまったのだ。

 その日はコーヒーと一緒にスコーンを頼んだ。コーヒーで一息つきながらひと口含んだとき、これまでには無かったような違和感があった。少しずつ食べ進めるが、なんだか美味しいと思えない。それ以上食べることが出来ないと判断し、勿体ないなあと罪悪感を抱きつつも、仕方なく処分せざるを得なかった。こんなことを言ったら贅沢だとか言われても仕方ないのだが、美味しいと思えなかった原因は、単純に味がまずいからという理由ではなく別の理にあった。
 
 それは、科学的な味がしたこと。食べたその時は深く考えず、これまで大好きだったモノが食べられなくなってしまったことにショックを受けたが、同時に今までずっと口にしてきたことを考えると怖くなった。逆にどうして今までは気付かなかったのだろう?

 昔から食べることが好きで、飲食業に勤めてから少しずつ舌が鍛えられた。そのことによって今回のような気付きがあったのだが、それからは保存料や化学調味料の味がなんとなくだがわかるようになり、自然と避けるようになった。現代の進歩のおかげでコンビニ食でも十分においしいものがあることも知っているし、保存料などはなるべく使用せずに商品化している製品も出てきている。たまに食べる程度なら問題はないのだが、繰り返しの毎日の中で定期的に食べることを自ら選択するかというと、やはりどうも受け付けない。

フランスに来てから

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 フランスは「BIO」マークがついたオーガニック製品がスーパーの中など日常の中に溶け込んでいる。世界的にみるとオーストラリアやアルゼンチンが先進国のようだが、ヨーロッパの中ではドイツに続きフランスが二番目に大きなマーケットであり、三位のイタリアには大差をつけていることから、農業大国の底力を感じさせられる。(少し前の資料を見たから今は違うのかもしれない)日本でもオーガニック製品は増えつつあるが、価格が一般製品と比べるとどうしても高価なことから、結局は一般製品を手に取ることが多かった。

 フランスに来てからは、より身近にbio製品を手に取ることが出来きた為、購入する機会が増えていた。パッケージに示されたbioの文字を信頼し、安心しきっているが、オーガニック製品の定義とは一体何なのか。科学肥料を使用していないことや、環境に優しいことはなんとなく理解しているが、普段何気なく口にしている食物や食品が、そこまで大きく人体や環境に影響を与えているのだろうか?

 そう疑問をより強く持つようになったのは、ここ最近世間をにぎわせているものが背景である。私は普段から生理痛が重く、初日に薬の服用は欠かせないのだが、この外出禁止期間中はあまりにも激しい生理痛によって、大変苦しまされた。
 
そんなときに出回っていたのが、頭痛や発熱の際に自宅で使用する鎮痛剤は危険かもしれないというニュースだった。日本ではドラックストアで誰でも簡単に購入することが出来るイブプロフェインだが、今回の環境下においては、症状を悪化させる危険性があるとフランス政府から発表されたのだった。そのことを耳にしていた私は、そのような症状は全くなかったのだが、無症状の感染もあるかもしれないと考え、もしもの時に備えたらこの期間の服用は適切じゃないと判断し、服用を避けて耐えていた。しかしどうにも腹痛が治まらず、とても耐えられる痛みではなかった。

 
 鎮痛剤の服用を覚悟したときに、もう一種類の鎮痛剤が手元にあったことを思い出したのが、フランスに来てから購入したパラセタモールだった。前回の生理痛の際に外出先で鎮痛剤を持ち歩いておらず、急きょ購入したものだ。フランスではポピュラーな鎮痛剤らしく、幸いなことにこのパラセタモールは使用しても問題ないとされ、イブプロフェインではなくこちらを使用するようにと政府が言っていたことで、安心して服用できた。

 おかげで痛みも治まったのだが、調べている際に驚いたことがいくつかあった。まずこのイブプロフェイン、欧米ではどうやら感染症の際に危険だという事が以前より発覚しており、通常の薬局では薬剤師を通さないと購入できないらしい。もちろん鎮痛目的の服用で過剰摂取でないのであれば、身体への影響はない。しかし私が驚いたのは、欧米では簡単に購入出来ないのに、日本では誰もが簡単に購入できるということ。そしてそのような危険性があるという背景も知らずに口にしているということ。そのシステムの背景に対して私は非常に危険性を感じたのだ。

 きっと多くの方も同じだと思うが、私は日常的に購入している製品に対して何の疑いも持たずに「安心」だと思って日々暮らしている。しかしもしかすると日常的に表面上の情報に踊らされているだけであって、それらが人や環境に与える影響を何も知らずに考えずに、平気で鵜呑みにしてしまっているのではないか?環境汚染や人体影響を無視した経済効果の犠牲として、だとしたら。そういう可能性があると考えると怖くなったのと、普段から自分達が口にしたり身につけたり共存しているモノに対して、理解を深める必要があると思った。

 ひとと環境と

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 今世界ではベジタリアンやヴィーガンが注目されており、ここフランスでもそんな方を対象にしたレストランや総菜店をよく見かける。写真のアボカドトーストも、そんな方に向けたシンプルなメニューだった。(だった気がする)

 日本で仕事をしていた際も、そういった海外の方と接する機会が多かったのだが、多くの方は宗教上の理由であったのに対して、中には意識的に食してない方もいた。当時は健康意識が高いんだなあ程度にしか考えていなかったのだが、今思うと全くの無知だったのである。健康どころか環境全体を考えた上での行動だったこと、飲食従事者として恥ずかしく思った。日本でこのことを意識している人は一体どれくらいいるのだろうか?

人間と食べ物、とりわけ動物とのことを考えた際、いつもむずかしいと思う事がある。地球の生命をいただく消費者目線としても、それらを取り扱う飲食従事者としても。

 つい先日偶然、お肉を食べることを控えた方の情報を目にした。彼女はヴィーガンとまではいかないが、控える様になったキッカケと共に、あるドキュメンタリー映画を紹介していた。詳しい内容は分からないが、動物と私たち人間の問題を題材にした作品であること、そして食肉を控える彼女が勧める作品だという事から、視聴をしてみた。

 その作品は「パラサイト」の名で世界を賑わせた、韓国の映画監督であるポン・ジュノ氏の「okja」という作品だった。視聴後、彼の作品が世界的に評価される理由がなんとなくわかった気がした。彼が題材として上げるのは、地球に暮らす私たちが目を向けなければいけないような本当に大事なことであって、だけど、声を大きく上げて題材にするには様々な問題や視点がありすぎて、とても難しいことである。いつかは向き合わなければいけない問題ではあると、どこかでは理解していながら。

 視聴をしていても、難しいよなあと感じる場面がいくつもあった。中でも映画の終盤に近いシーンで、主人公である少女がokjaを救いに行った所が精肉加工所だったのだ。少女はそこで初めて殺処分を行う光景や、食肉として加工される様子を目の当たりにするが、普段わたしたちがいただいている命も、これが現実なのだろうと考えると、複雑に思った。

 作品で題材にしているのは豚であるが、動物、特に牛は呼吸する際に空気中へ多量の二酸化炭素を排出するらしい。食肉用の牛を生産するには、それだけ多くの食肉牛を育てる必要がある。ということは、自然と空気中に排出する二酸化炭素の割合も増えていくことになる。それを始めて知った時は、ヴィーガンの方へ対する見方が変わった。これまではただの健康に対する意識が高い人たちだと勝手に考えていたが、背景には正当な理由と強い意志から環境に配慮し、未来のことを自分の頭で考えられる人たちなのだと改めて理解することができた。

 では牛から出来ている乳製品はどうなのか?といった疑問もあるので、まだまだ学ぶことは沢山ありそうだ。それに、植物や海産物も同じく命をいただくことである。全てをひとまとめにして結論をだすのは、なかなか難しそうだ。食べることは私たちにとって必要不可欠であり、楽しみの一つでもあるからだ。そのおかげで、私のような職に就くことができる者もいる。

 今はまだわからないことばかりではあるが、こういった疑問をひとりひとりが少しずつ抱くことによって、少しずつ人間と地球の在り方は変わってくるのではないだろうか?まだまだ私たちに出来る取り組みは沢山あると思うし、環境のことを考えていくのは、これからの未来にとって本当に必要なことだと思う。遅すぎるくらいかもしれないが、諦めるのは早い。私たちが日々の生活の中で出来るのは、世間の風潮や宣伝に流されるのではなく、しっかりと自分で必要な情報を取得し、自分の頭で考えて、選択して生きていくこと。たったそれだけのことを意識していくだけで、私たちの未来も自分達の手によって変えられることが出来るかもしれないんじゃないかなあ。

そんなことを思った。

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