ひとまず「理」の個人編が終わった。また頂いたコメントに返信していきたいと思う。
コメント返し
頂いたコメントに返信いたします。
私の駄文を非常に美しくまとめて頂いております。概ね記載されている通りで相違ありません。
一点だけ。
2.感情にも「理」は存在する
というのは基本としてはその通りなのですが、全人類が普遍的に理解できる「理」が感情であるとしております。もし全人類が同一に知覚できる五感があるとしたら、そこにも「理」は存在します。
現状私達が知覚できるのは、感情のみです。
ここは本当におっしゃる通りで、人と人との間の「正しさ」についてはまた別の議論にはなります。ただ、それを語る際の前提として、最初に生まれでた感情は「正しい」ということを今回定義させて頂きました。
ご指摘ありがとうございます。このご指摘、もっとよくかみ砕かなければならないと思っております。説明不足になっていたらすみません。
一つ感じたのは、
「ムカつく」という感情を覚えた(これは「正しい」)→「ムカつく」という感情を覚えたことに対して「罪悪感」が生じた。
この段階では「ムカつく」と「罪悪感」は別の事象に対する感情のため、違う分類になるとは思います。もちろんこの先にもメタ認知での感情なども生じ得ます。しかしそれが最終的に自己と同一になるかは、繰り返せば限りなく漸近するとは思いますが完全にイコールにはならないのではないでしょうか。
ご指摘の通りで大筋間違いありません。そう考えてしまうと、結局私の考えていたことは大昔にデカルトが言っていたのかもしれないですね。「理」を考え始めてから、なぜかつての哲学者たちが物質の根源から考え始めたのか、少し理解できた気がします。まだまだ勉強不足ですね。
このような形でコメントをいただけること自体光栄です。私自身も、個人の意思は「正しい」と考えておりますが、なぜそうなのか、と問い続けた結果で今回のnoteになっています。是非今後も一緒に考えていければ嬉しいです。
vantileさん、いつも長文の考察とコメントを頂きありがとうございます。扱う事象が実際の場面になり説明しやすくなる反面、論理の綻びも多いなと感じていました。以後もよりよい考察の参考にさせていただきます。
今後も読者の方からの質問やご指摘をうけつけております。お互いがより良く理解を深められるよう、どしどしコメントくださいませ。