なぜ私は一人称を考えるのか

私? 僕? 俺?

 一人称を何にするかというのは日本語特有の悩みなのかもしれなくて、それは英語だと”I”ですんでしまうからである。自分はI、あいてはYou。なんてわかりやすいんだろう。それにしては、日本語には一人称が多すぎる。私、僕、俺、儂、あたし……挙げればキリがない。
 そしてこの一人称、非常にその人の性質を表わしている。とても真面目そうな成人が儂といってたら変な感じ、とみんなは思うし、おじいちゃんにもなって僕、という人には違和感をおぼえるだろう。
 
 この一人称の先入観の差は、特に創作だと如実だ。

「私」と「あたし」

 「私」といえば落ち着いた感じ、「あたし」なら少しやんちゃな感じ。我々の経験値DNAに刻まれたセンスが呼び起こされ、このような印象を持つ。もちろん、「あーし」ならギャルだ。それもオタクに優しいタイプの。

「あーし知ってるよ、それ今やってるアニメっしょ?」
 
 と言われてオチないオタクなどいない。

 これが、一人称のもつ力であり、イメージである。

「僕」が「俺」に変わる日

 私は生まれてから24歳で実家を離れるまで、自分を一人称で呼んだことがなかった。いや、あるにはある。幼少期の頃、自分の名前で自分を呼んでいた。
 しかしいつの間にかそれが恥ずかしくなり、いつしか自分を呼称することを避けてきた。意外とどうにかなるもんであった。ただ帰るきっかけが無かっただけであるが。
 
 イメージとして幼い「僕」からおとなになった「俺」への変遷はいつ起きるのであろうか。そこには正しく心の成長があるのだろう。周囲からの「おっ、ついにこいつも自分のこと俺って呼ぶようになったか」という好奇の視線に屈することなく貫けたあなたを、私は称賛したい。

今自分の一人称に悩んでいる場合はどうするべきか

 私は「わっち」をおすすめする。

 わっち、といえば賢さをアピールできるし、何年も生きていることも示すことができる。まるで賢狼である。リンゴでもかじってしまえば完璧だ。もちろん胡椒なんてふりかけたらもっと良い。

 銀髪の行商人と出会えることを願いながら、自分自身について見つめ直してみるといいかもしれない。

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