昨日と今日という差別
24時間って、本当はないんじゃないかと思う時がある。人は生まれて死ぬまでが”人生”と呼ばれているけど、24時間経って昨日のことは今日とは言わなくなるのは、ちょっと切りすぎじゃないかと思う時がある。ずっと生きているのに、寝て起きることで、1日が経つという計算は、ここで生きていることとは、あんまり関係ないような気がする。
昨日だからなんだろうってなる。今日になったからってなんだろうって思う。
その小さな死ってなんなんだって思う。少なくとも、子供の頃はそんなのなくて生きていた気がする。区画整備されすぎた町のように、無味乾燥な頭は、アンパンマンのように、ジャムおじさんに新しい頭に変えてもらった方が良きかな?
もしかしたら気づかないだけで、どこかの誰かのいろんなジャムおじさんが、いろんな方向から投げまくってくれているかもしれない。
それがぶつかった時に
「いてっ!なにしやがんだ!」と、ケチをつけるか
「あー・・・また、言っているわ。」と、ため息を着くか、
「ありがとう!」と、新しいのと交換するのは、自分次第なんだなぁ〜
でも、バイキンマンは必ずやっつけられて、終わるんですよね。
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